topnewscolumnhistoryspecialf-cafeabout 2002wBBSmail tolink
 光の向こうに 〜ブラインドサッカー 07/02/11 (日) <前へ次へindexへ>

 魅力
 

 文/杵川希(キネカワ イツカ)
 タッチライン二面を防護フェンスに囲まれ、監督やGK、そして攻めるゴール裏方向から指示を出すコーラーの声を足がかりにして、鈴が入ったボールを蹴る。味方の砂を踏む音、相手が発する「ボイ(=ベトナム語で「行くぞ」の意味)」の声、自分とボールの位置、ゴールへの距離と方向、それらの感覚と音がアイマスクの奥で成功の理想像を構築していく。あらゆる主観や前提を覆し、思い込みや決め付けの心を戒める、感覚が生む映像がここにはある。

「目が見えない」ということだけで、無意識のうちに「できない」と思い込んでいる多くの人間を戒める、「できる」プレーの数々。視覚障害者サッカー、ブラインドサッカーは無数の真実を持った切り口の多いサッカーだ。

 視覚障害のあるフィールドプレーヤー4人と、晴眼者もしくは弱視者が努めるGK1人の計5人が、フットサル大のコートの中でプレーするスポーツ。監督やコーラーが声で指示を出し、選手はその音や声から判断してボールを蹴り、ボールを追う。

 視覚障害という言葉だけで判断されては悲しい。ブラインドサッカーは老若男女、晴眼、弱視、全盲関係なく同じピッチに立てるという魅力がある。厳密に言えば弱視、晴眼者が公式大会でプレーできるのは日本国内のみというルールがあるが、アイパッチとアイマスクさえすれば誰でもできるスポーツである。晴眼者にはサッカー、フットサル、ビーチサッカーなど多くの選択肢があるが、全盲者はブラインドサッカーしかない。だがブラインドサッカーそのものは、認知度が低いだけで、実はサッカー以上に多目的なサッカーといえる。

 選手は、老若男女が同じピッチに立ち、観客に無数の可能性と驚きを提供する。視覚がない分、描いているイメージはそれぞれ異なるが、走ることでイメージの調整と挑戦を繰り返し、そこに味方同士イメージの接点を感じ取り、理想の選択とイメージを共有する、いわば絆と絆のサッカー。



 現在日本国内に2,300人いるとされるブラインドサッカー選手には中途全盲が多く、程度の差こそあれサッカーというものを過去に見たことがある選手が多い。映像としての理想を少なからず持っているため、どうすれば観客に上手さを伝えられるかを理解している。観客と選手が同じように持っている「上手さのボーダーライン」がピッチに確立されている。だから観客はどよめき、選手はそれに手ごたえを感じることが出来る。

 一方で先天性の全盲選手には、ブラインドサッカーに適した独特なプレーがある。幾分背中を反らせたドリブル姿勢は、耳が音を拾いやすくするためで、シュートは同じものが一つとしてない個々の感覚によるタイミングで放たれる。サッカーというものの前提を知っていることが、ここでは感覚の柔軟性を奪う。

 何が上手いプレーなのか、視力で確認できることだけが事実ではない。むしろこの世には見えなくて良いものの方が多いのではないか。浮き彫りになった真実だけがブラインドサッカーを構成している。

 選手は言う。
「プレーしていると、聞きたい音だけが自然に耳を経由して頭に残る。いらない音は無意識に通り過ぎていく」

 選手は自分の力量を一番よく理解している。成長速度が非常に速い。監督やGKの指示や提案を一言漏らさず聞き取り、速い吸収力と表現力で血肉に変えていく。



 大阪ダイバンズというクラブに所属する井上選手は、ブラインドサッカーを始めた当初、15分ハーフの試合でわずか3タッチしか出来なかった。それから1年、井上選手はチーム不動のエースストライカーとして君臨し、流れてくるボールをダイレクトでゴールに叩き込める、国内有数のスーパーエースと評される。なぜこれほどまでに成長速度が速いのか。それには選手一人一人の意識だけでなく、ブラインドサッカーのこれからの理想形に遅れまいとする意識の強さがそうさせているのではないか。

「僕らのやってるサッカーは、普通のサッカーに比べて試合のテンポは遅いし、ミスも多い。見ていてもどかしい部分が多くある。でもそれを少しでも解消していけば、見ていて面白くないという人たちは、きっともう一度見たいと思うはず。だって僕らのやってるものは、人気スポーツのサッカーだから」

 晴眼者がアイマスクをつけて彼らとプレーすれば、一瞬にして難しさと面白さを理解できるだろう。決して見ることの出来ない、ゴールという成功の瞬間を求めて、挑戦と確認を繰り返す楽しさに気付くだろう。失敗はない。全てが成功への布石でありヒントとなりうる。「失敗は成功のもと」を地で行くスポーツといえる。ブラインドサッカーが目指すイメージは揺るがない。選手が目指す究極形が常に原動力となっている。

 選手は言う。
「普通のサッカーに限りなく近づけるよう努力するのが、このサッカーの意義であり楽しさだと思うから」
<前へ|次へindexへ>
topnewscolumnhistoryspecialf-cafeabout 2002wBBSmail tolink