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 光の向こうに 〜ブラインドサッカー 07/10/04 (木) <前へ次へindexへ>

 THE ETERNAL STRONGEST
 

 文/杵川希(キネカワ イツカ)
 年はじめに一度、練習で顔を見たきり、彼がブラインドサッカーをしている姿を見ていない。

 彼は、目だけでなく、肺に3つの難病を抱え、本来なら寝たきりの療養生活を送らなければならないと言われていた。それでもスポーツこそが生きがいとばかりに、ブラインドサッカー、空手、少林寺を続け、その全てで成功を収めてきた。所属していた大阪ダイバンズで西日本王者になり、日本一に輝き、空手では2005年大阪城杯冬の陣、2005年全日本グランドチャンピオン決定戦で、晴眼者に勝利し全国一位を勝ち取った。少林寺でも、2006年に大阪中央区大会3位の実績を残した。

 底知れない体力と気力、そして勝負強さは、スポーツマンとしての彼を「天才」に仕立て上げた。



「運動は、もうできません」
あるところで、彼はそう書いた。

「一般人と同じ環境で日常生活を送れたのが約15年。若干寂しい気もするけど、ハンデを抱えて空手やサッカーで日本一になれた。サッカーの技術もそこそこのレベルまでいったし、いいやつらにも出会えた。いい思い出がいっぱいで、結構満足です」
 彼は、スポーツからの引退を表明した。
「スポーツ漬けの毎日をあきらめて、今は新しい趣味を見つけました」
 ヘビ皮の三味線を買ったそうだ。プロ級を目指すと意気込んでいる。

「わかってはいたけど・・・悲しすぎる。俺らにとって、最高だったのは2005年だった」
 ダイバンズの日本代表MF落合選手は、悲しみのどん底で嘆く。
「スポーツを辞めなきゃいけない、日に日に体の具合が悪くなっていってる、そういう事は全部知ってた。でも俺の口からは言えんかった。今までで一番やりやすい選手だったし、奇跡が起きて、また一緒にサッカーができるって信じてたから」
だが、
「サッカーより命を取ってくれた。今まで無茶してきたあいつが、苦しんで、悩んで、辛そうにしながらも決断したことに、ほっとしてもいるよ」



 彼のブラインドサッカーの才能はピカイチだった。どんなに速いボールが、どこから飛んできても、それを恐ろしく鋭利な感覚で強烈なシュートに変えることができる、稀有な選手だった。日本ブラインドサッカーに、ダイレクトシュートの基準を築いたのは、他でもない彼だった。そのプレーを一目見れば、たちどころにブラインドサッカーの虜になると言っても過言ではなかった。

 とりわけ、2005年の彼は、それこそ怪物だった。西日本フレンドリーカップ対福岡戦では1人で7ゴールを奪い、ダイバンズを7−0の勝利に導いた。同年11月の日本選手権決勝では、後半だけで4ゴールを叩き込み、ダイバンズを逆転勝利に導き、初優勝の原動力となった。サッカーを始めた頃には、一年間一度も休まず、毎日一人で個人練習に励み、足元から離れてなくしてしまったボールを、記憶と感覚だけで拾いに走り、夜遅くまでボールとしのぎを削った。

 彼は、世界を変える力を持っていたかもしれない。
 味方のゴールキーパーがボールをキャッチすると、彼は最前線で手を上げる。そこに強烈なグラウンダーのボールが入る。腰を落とし上半身をピンと張り、耳を傾けタイミングを計る。背後にピタリと付く相手ディフェンスを体で押さえ、転がってきたボールを足の裏で抑えると、すばやい反転から右足を一閃。そのほとんどがゴールネットに突き刺さる。

 日本のエースは、彼以外考えられなかった。途方もなく強い、努力家だった。
「あいつが、代表やったらな・・・」
 数年前、日本代表を率いる風祭監督は、笑いながら何度もそう繰り返していた。しかし、試合中、いつ倒れてもおかしくない体。たとえ日本一、世界一上手いかもしれない選手だとしても、彼を飛行機に乗せるわけにはいかなかった。



 彼は、ただの一度も代表選手になれなかった。
 自分と向き合った末の答えとして、ここ何年かは常に代表を拒否する姿勢だった。呼ばれて辞退することがずっと続いた。しかし、今年に入って、彼は突然代表にこだわった。一度でいいから日の丸を背負いたい、落合選手の存在ももちろんあっただろう。それに、やはり自分は世界でどのくらいのレベルなんだろうか、ということを最後に確認したかったのかもしれない。確認してから引退したかったのかもしれない。

 ところが、それ以降、彼がボールを蹴ることはなくなった。
「これ以上続けたら、透析治療です」
 医者からのドクターストップで、彼はブラインドサッカーをあきらめた。

 今、彼が奏でる三味線の音色は、どのような感情に染まっているのだろうか。
「絶対、絶対に見舞いに行く。北京パラリンピックの出場切符を持って、見舞いに行く」
 落合選手は固く誓った。

 今月21日から始まるアジア杯韓国大会。トロフィーとともに、2008年北京パラリンピックの出場権を勝ち取ることを誓う。
 切符を片手に、三味線を聴きに行くために。
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