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| 光の向こうに 〜ブラインドサッカー 07/11/01 (木) | <前へ|次へ|indexへ> |
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願い その1 取材・文/杵川希(キネカワ イツカ) |
今まで一度も聴いたことのない音が耳を撫でた。
すべてを失った後の3位決定戦イラン戦。0−0で折り返したハーフタイム、ブラインドサッカー日本代表・落合選手は、それを聞いてしまった。
「申し訳ない。すごく申し訳ない」
相手の顔が見えなくてもわかった。そんな言葉しか思い浮かばなかった。彼だけでなく、日本は責任感が強すぎたのかもしれない。裏切れない気持ちが、皮肉にも最悪の結果を招いてしまった。身に纏った「誇り」が重すぎたのかもしれない。日本代表GK田中重雄選手の、深く、重く、やつれた溜め息こそが、日本の現実だった。
10月21日、ブラインドサッカー日本代表は大志を胸に韓国へ飛んだ。第2回アジア大会。韓国、中国、日本、イランの4カ国総当たり戦で優勝すれば、大会2連覇を成し遂げるとともに、来年の北京パラリンピックの出場権を獲得できる。「勝つ」。ただそれだけに全身全霊をかけて、日本は韓国の地を踏んだ。しかし、塗り重ねたオイルが染み込み、年季が木の色素を奪った、掠れた体育館の床に膝をつく結果になった。
「帰国して3日。正直、今は辛すぎる」
厳しい経験は糧になる。しかしながら、楽しい経験こそがほしかった。何度失敗を繰り返そうが、その都度強い気持ちを示して立ち上がってきた選手たちでさえ、今回の結果は受け入れがたい、非情なものだった。2分け2敗。最下位。0得点2失点。北京への切符は掴めなかった。
会場外、日本代表がウォームアップに入る。午前9時、肌寒い晴れの朝。
「なんて声をかければいいかわからなかった」
サポーターの1人が言う。「おはよう」の声さえ喉の奥に隠れたままだった。黙々とストレッチに励む選手の表情は、緊張と苦しみで硬かった。
「現地でな。楽しみにしとるけん。がんばるけんな!」
そういって日本を発った、キャプテン三原選手の姿がなかった。開幕前日の紅白戦で、味方選手と衝突し、頬骨を陥没骨折。ピッチに立つことはおろか、大会の空気を一掬いも肺に入れることなく、彼は朝一番の飛行機で日本へ帰国していた。
「悔しかったと思う。それだけに、俺らも悔しい」。残された選手たちは、たった一言、声をかけたかっただろう。「お前のぶんまで、頑張るけんな」。落合選手は、三原選手の6番のユニフォームを、自分のユニフォームの下に着込んでピッチに立った。
開幕の中国戦。雑念を振り払って挑んだ1戦。中国は、個々の技術が高く、特にドリブルスピードは日本を最後まで苦しめた。ボールを持った選手が一人で持ち上がり、残る4人が守備に回る。面白さには欠けるものの、有効な戦い方を実行した。
「(中国の)ドリブルスピードにはびっくりした。器用ではないけれど、直線的で力強く速かった」
落合選手が言うとおり、進境著しい10代ばかりの中国は、日本に一歩も怯むことがなかった。
「中国代表選手はここ数ヶ月、1日中ブラインドサッカーに浸って生活してきたらしい。来年の北京パラリンピックで好成績を残すための布石として、国とサッカー協会の援助を受けて、生活を保障するかわりに、まるで徴兵制度みたいにサッカーに没頭した。イランだってそう。イラン代表は結成されてたった3ヶ月だけど、全員が柔道やゴールボールや陸上などのトップアスリートで構成されていた。イランサッカー協会のバックアップだけじゃなく、国そのものも障害者スポーツの発展にすごく力を入れている。3ヶ月間の給料を保障して、国の名誉のためにお金をかけた。名誉を立ててから、お金を出す日本とはまるで逆だった」
かたや日本は、月に1回、自費での合宿を数回繰り返しただけだった。あらゆるサッカーが1協会下にある諸国(欧州、南米含む)と違い、日本は立てない足での自立を強いられてきた。それは今も、今後も、変わることは難しい。とはいえ、時間や金銭だけが成功の鍵になるとは限らない。だが、いつの間にか出遅れていたという事実は揺るがない。
初戦、0−0。スタートは、憂慮すべき結果となった。
「正攻法だけでは勝てなかった。今、誰かに"日本のスタイルとは?"って聞かれても、答えられない。良くも悪くも"自由"としか言えない」
形がなかった。あったとしても、右に倣えのしがらみでしかなかったのかもしれない。新しいことを求めているのではない。難しいことをやらなければならないということでもない。ほんのわずかな運がなかった。運を引き寄せる強引さと決意が足りなかった。
「やっぱり、ドリブルでの局面打開ができないと、今後どこにも勝てなくなってしまう。組織とか自由とかいう以前に、ドリブルでチャンスを作り出すっていう動きをしないと、運という可能性にさえ出会えない」
ゴールとの向き合い方。発想と柔軟性と、閃きをチームに還元する方法を持ち合わせていなかった。
二戦目イラン戦、0−0。可能性は、最終節韓国戦での必勝のみとなった。
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