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| 光の向こうに 〜ブラインドサッカー 07/12/25 (火) | <前へ|次へ|indexへ> |
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この一年 取材・文/杵川希(キネカワ イツカ) |
大阪ダイバンズの始まりは失意の中だった。
2006年10月、新年最初の公式戦となった第5回ブラインドサッカー日本選手権大会。神戸ウイングスタジアム(現ホームズスタジアム)でダイバンズは、PK戦以外で一度も勝利を手にすることができなかった。FC.AVANZAREに1−2と逆転負けを喫し、ぴんきぃーずには0−0。他グループの結果で辛うじて4強に駒を進めたものの、準決勝の所沢国リハとこちゃんず(現T-WINGS)に0−3の惨敗。FC.AVANZAREとの再戦となった3位決定戦でも、正規の時間内で勝利できなかった。
続く2007年西日本フレンドリーカップでも、得点力不足とメンバー不足が祟り、最初の2節を0−0の結果に終わった。これまで競合相手がいなかった西日本でも、ダイバンズの地位が揺らぎ始めていた。練習に全員が集まることは一年で一回あるかないか。得点力不足解消の手立ても、選手獲得の手段もなかった。そして何より、ブラインドサッカーで最も重要なコミュニケーションが不足していた。
最終的に西日本フレンドリーカップを制覇し、所属選手もそれぞれ日本代表として多くのことを経験した。そのうちの一人、ダイバンズの主将でもある山口修一選手は、この一年をどう感じたのだろうか。
--個人として、この一年を振り返ってどうでしたか?
「自分自身の満足度なら50点。でもすごい中身のある一年だったと思う。特に5〜10月はサッカー中心の生活ができた。ブラジルでの世界大会やアジア大会にむけた代表合宿が月一回あって、やればやるほど代表の完成度が上がっていくのを実感できた。普段の生活でも練習はもちろん、ジムに通ったりして、コンディションとモチベーションを常に高いところで一定に保てていた」
--日本代表はアジア杯で最下位となり、来年の北京パラリンピックの出場権を得られませんでした。
「本当に残念。アジア大会連覇をほとんど義務として考えていたので、喪失感は想像以上だった。ダイバンズと同じように代表の課題も得点力不足で、みんなが"俺が点を取らな"と硬くなっていたと思う。僕自身も"勝たな、勝たな"とばっかり意気込んでしまって、結局うまくいかなかった」
--他の3カ国(韓国、イラン、中国)が強かった?
「そんなことはなかったと思う。ライバルの韓国はいつも以上に調子が悪かった。それにも勝てなかったんだから文句は言えないけれど、とにかく自分たち自身が首を絞めた格好になってしまった。メンタル面が充実していなかったんだと思う」
--新興イランや中国はどんな感じだった?
「イランは速くてやりにくかった。障害者スポーツに力を入れている国の支援もあって、めきめきと力をつけているという感じだった。中国もやっぱり国の支援がレベルアップを後押ししたと思う。来年のパラリンピック開催国というのもあって、他のアスリートを集めて合宿を行った。サッカーは初心者だけど、スポーツのなんたるかを知っている選手ばかりだったので、こちらもやっぱり強くなっているなという印象だった」
--代表での成功に対して、プレッシャーもあった?
「もちろんあった。それを後押しに変えられなかったのが未熟な部分だと思う。僕を含め、経験豊富な選手は日本にも何人かいる。それでも勝てなかったのは、勝利という結果に対して失敗できないという意識が働いたから。でも、決して臆病になったわけじゃない。試合は前向きな姿勢で臨んだし、笑顔も絶えなかった。1点が遠かったのは事実だけど、失敗の経験から学ぶものはたくさんあった」
--たとえば?
「個人的なことだけど、韓国戦で決勝点になってしまった相手の第二PKは、自分が犯したファウルで献上したものだった(累積4つ目のファウル)。相手が右から左へドリブルしてきて、ボールと相手の間に体を入れて右足を出したら、それが相手の足にかかってファウルになった。ファウルだったとは思っていないし、でも結局それを決められて負けた。帰国してからはずっとそのシーンを思い出して、悔しかったのと同時に脱力感と無念が襲ってきた。体調も若干崩したりした。でも、そういう最悪な経験をしたことで、ふと気づいたことがあった。好きなことのために精神や肉体を鍛えられるって幸せなことなんだ、と思った。そう考えたら、ちょっと楽になったし、ブラインドサッカーに再び挑戦したいという気持ちも沸いてきた」
--ではダイバンズとしてはどうでしたか?
「ダイバンズの一年は激動だった。エースのノブ(井上選手)が引退を余儀なくされて、案の定得点力はガタ落ちしたし、メンバーが4人になり、試合さえできない状態になった。なんとかケン(中尾選手)が入団してくれて体裁が整ったのは幸運だし、素直にありがとうと思う。ある意味リスタートの一年だった。年初の失意からちょっとずつだけど光が見えてきたと思っている。特に西日本フレンドリーカップ最終節(兵庫戦4−0の勝利)はめちゃくちゃ楽しかった。ケンが今まで僕がやっていた底に入って、僕がオッチー(落合選手)と並んで中盤でプレーしたあの試合は、すべてがうまくいった。ケンが予想以上にうまくて、なんかワクワクする試合だった。自分自身も良いゴール(ドリブルからのミドルシュート)を決められた。そして辛うじてだけど、優勝できた。今もメンバー不足と得点力不足は懸念材料だけど、結構良い一年だったと思う」
--では来年が楽しみ?
「楽しみではあるし、楽しみたいと思っている。ただ、またダイバンズに動きがありそうなんで、それがね・・・。来年1月12,13日の第6回ブラインドサッカー日本選手権までに一回、全員揃って連携を取れたらいいんだけど、今は日程を調整中。なんとか良い成績で新年をはじめられたら良いね」
--毎年、ダイバンズはメンバーが変わってしまうね。
「メンバー集めが第一だけど、集めようと動く人間が絶対的に少ないから・・・。まずは自チームの状況をみんなが把握しないといけない。毎年人が変わって、都度調整して、という感じだから、熟成度でかなりの遅れをとっている。毎年年末や年始にチームの流れにピリオドが打たれるのは、なんともつらいものがある」
--では来年の自分の目標は?
「ダイバンズとしてはもちろん優勝。05年以来二度目の優勝を目指す。でも、個人的にはモチベーションの維持がきついかもしれない。今年経験したことを来年につなげようと思ったら、やっぱり北京パラリンピックの出場権は取りたかったし、今がんばっていることが、北京につながっているという実感というか、充実度が欲しかった。代表でもダイバンズでも、ベテランの自分が頑張らないと、と思うからなおさら、北京への高揚感や緊迫感は欲しかった。でも、プレーしていて楽しいなら、やるたびにモチベーションを見つけることができるし、特に心配はしていない。もっと巧くなりたいと思う。技術とメンタル両方で、強く巧い選手になりたい」
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