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| 福岡通信 06/08/26 (土) | <前へ|次へ|indexへ> |
| 第19節が行われた国立霞ヶ丘競技場。5失点を喫して敗れた福岡は、どこへ行こうとしているのだろうか |
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いま、ここにある危機 文/中倉一志 |
「どうしちゃったの」。試合後の記者室で顔なじみの在京のライターから声をかけられた。試合に敗れたからではない。福岡の最大の強みであった守備が崩壊したことを指しての言葉だった。興味本位ではなく真剣に心配してくれる表情がかえって心に痛かった。23日に行われたJ1第19節のFC東京戦。京都戦に続き2試合連続の5失点。新体制になってからは5試合連続で16失点中。もはや「堅守の福岡」は過去のものになった。
もちろん、22分の薮田光教の退場も痛かったが、この日は立ち上がりから中盤の守備が全く機能しなかった。石川直宏が右サイドで起点を作り、その大外を回ってオーバーラップしてくる徳永悠平、そして内側へ飛び込んでくる梶山陽平を全く捕まえられない。ボールサイドに人数をかければ、がら空きになった中央のスペースを使われ、反対サイドは川口信男のドリブルに切り裂かれた。それでも前半を0−1で折り返せたのは、FC東京が決めきれなかったからだ。
攻めていてもゴールを奪えなければリズムが変わるのはサッカーではよくあること。そして、後半に入るとFC東京のリズムが微妙に崩れる。そして52分、中村北斗の突破から同点に追いついた。「味方でもいいし、相手でもいい。誰かに当たって入るようなボールを入れた。狙い通りといえば狙い通り」(中村北斗)。ここからは、むしろ10人で戦う福岡のペース。ゴールはならなかったが、力強い城後の突破からGKと1対1の場面も作り出した。
しかし64分、赤嶺真吾に2点目を奪われたところで試合は終わった。選手たちが試合を諦めたわけでも、集中が切れていたわけでもない。しかし、かろうじてつながっていた糸が完全に切れた。1人、1人は必死だが、攻めても、守っても、その思いが互いに伝わらない。目に入るのはボールだけ。味方も敵も全く見えていないように感じられた。サッカーは11人のコミュニケーションで成り立つスポーツ。こうなってはサッカーにならない。5失点は当然の結果だった。
そんな試合を表現しようのない感情を抱いて見つめていた。試合レポートとしてまとめれば、中盤に大きなスペースが空いていたことや、相手へのマークがあまりにもルーズだったこと、暑い中での10人での戦いが選手たちの大きな負担になったことなどを挙げることになるのだろうが、それは現象面でのことであって本質的ではない。「チームが壊れた」。そういう表現が正しいのではないか。試合を見た多くの人が同じような感情を持ったと思う。
声が出ていないとか、失点すると平常心が保てないとか、もはや、そういったことが問題なのではない。チームをつなぐ1本の糸が切れてしまったこと。それこそが問題なのだ。シーズン途中での監督交代。攻撃的なサッカーへの転身。プロ意識の徹底を含めた意識の変革。これらはチームに刺激を与えた。そして、新しいチームは間違いなく前向きに動き出した。それがなぜ、あっという間に崩壊したのか。いま、その問題と向かい合わなければいけない。
誤解を招かれては困るが、チームに後ろ向きのムードが漂っているわけではない。選手たちは連日のように選手ミーティングを行い、自分たちの感じていることをぶつけ合っている。トレーニングも前向き。昨日行われた戦術練習では互いに大きな声を掛け合いながらボールを追った。誰1人として下を向く者はおらず、苦しい現状の中で前を向いて進もうとする姿に偽りはない。戦う気持ちが萎えている選手は1人もいない。
しかし、外から見ている限り、選手たちに納得感が感じられないように見える。何でそうやるのか、何がどうなるのか、何をどうすればいいのか。それを全員が納得していなければチームが1本の糸で結ばれるはずもない。それなのに、納得していない自分を叱責するかのように、その感情を無理やり押さえ込むかのように必死に戦う姿には哀れささえ漂う。勝敗にかかわらず見ているのが辛い。かつて降格が決定した2001年シーズンの戦いでさえ、こんな感情は起こらなかった。
「サッカーに正解はない」と言われるが、それは何もサッカーに限ったことではない。物事を動かすための方法論はひとつではなく、置かれた状況、携わる人間の質と数、それに投ずる資金量等々、様々な条件に応じた様々な方法論がある。場合によっては、選択できる方法論が限定される場合もある。そういう中で大事なのは何を選択したかではなく、選択した方法論で最大の効果を生み出すための具体的な手段を講じたかということにある。
今日もスタンドには大勢の観客が訪れる。福岡の夢と誇りを担うクラブを壊してはいけない
クラブがどんな決定をするかはクラブ固有の権利であり、戦術の選択権や、選手を起用する権利は監督だけに与えられた権利だ。それは誰にも侵害されるものではない。しかしながら、それは職員、選手、あるいはサポーターの納得感なしに行使できるものではない。納得しないのか、させられないのかはともかく、結果としてクラブに対しても、チームに対しても納得感がないという現実は、方法論を実行に移すための具体的な手段が欠けていることを意味する。
いまフロントは、こうした現実に目を向け、このままでは結果が出ないということを怖がらずに見つめるべきだ。ほんの少しでもクラブやチームの現状に目を向ければ、致命的とも思えるような問題が存在することに気がつくはず。外部からの批判も受けるだろう。場合によっては内部からも様々な声が上がるかもしれない。そうした現状や批判に対して真摯に向き合って、その解決のために可能な限りの手段を講じる必要がある。
現状を憂う声は、決してクラブやチームが憎いから起こっているのではない。チームが勝てないから起こっているのでもない。それは愛するクラブが壊れていくのを見ていられないから起こるものだ。誰もが批判などせずに、ただ純粋にチームを応援したいと思っている。にもかかわらず声を上げざるを得ない現実を理解して欲しい。万が一、批判を許さないような雰囲気を作るようなら、それはマイナスになることはあってもプラスにはならない。
そんな現状の中でも、試合は定期的にやってくる。そして、納得できない自分の気持ちを封印し、目の前の敵と戦うために、選手はピッチに立ち、サポーターは力の限りに声を出す。どうなるのか分からない。どこへ行くのかも分からない。心の中は不安で一杯のはずだ。それでも、選手も、サポーターも、最悪の事態に対する恐怖と正面で向き合いながら目の前の敵と戦う。そんな選手とサポーターを犠牲にしてはいけない。
いろんな意味で衝撃を与えられた大分との戦い以降、激しい打ち合いの末に敗れた京都戦、チームが壊れてしまったFC東京戦、岩本輝雄獲得報道など、普通ならあり得ない出来事が続く。おそらく、差し迫った危機に対してサッカーの神様が警鐘を鳴らしているのだろう。また、攻撃サッカーを志向してチーム改革に乗り出した川勝監督が、今日の試合を守備的な戦術で戦うのも、ある意味では、チームが追い込まれつつあることを示している。
いまならまだ間に合う。打つ手はいくらでもあるはずだ。取り組むべきはクラブや、チームに対する納得感を取り戻すこと。ドラスティックな決定をしなかったとしても、話し合いや、現状を見つめることで手段は見つかるはず。異なる意見を排除するのではなく、あらゆる意見に耳を貸すことで解決策はいくらでも出てくる。出向者が経営を担う企業の難しさは理解しているが、だからといって何も出来ないわけではないだろう。結局は経営に携わる姿勢の問題だ。
多くの問題を抱え、危機的状況に瀕しているにもかかわらず、多くのサポーターが博多の森に足を運ぶ。おそらく今日も、開場前にはバックスタンドへ続く長蛇の列がいつものようにでき、最終的には10000人を越す観客が博多の森にやってくるだろう。その姿を見て、フロントは何を思うのだろうか。福岡のまちにホームタウンを置くプロサッカーチームは、10年を越す歴史を積み重ねて夢と誇りを担う存在に育ちつつある。そんなチームを壊すことは許されない。
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