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 札幌からのメール 07/01/11 (木) <前へ次へindexへ>

 夜明けを往く旅
 

 文/笹田啓子
 山手線の始発を待つ駅のホーム。12月の朝4時はまだ夜の帳。それでもすでに決して少なくない数の人が電車が来るのを待っている。「元気な街だなトウキョウは」とか思いながら着いた電車に乗り込んで、乗り継ぎして、車窓をながめて、ああ少しづつ夜が明けてきた。居眠りしながら、気付いたら電車は熱海に近くなり、相模灘に2006年の363回目の朝が訪れるのを見る。白金色の太陽が昇り、凪の海に光る波の荘厳。息を飲む、というのはきっとこういう場面に出会った時にこそ使う言葉だ。普段はフトンの中でグズグズしているその時間に電車の中から朝日を眺める、そんな機会はあまりない。けど1週間前にも電車の中から朝日を見たっけな、あれは北斗星の中からだったけど。

 新幹線じゃなく、鈍行列車で行ったからこそ朝日が昇るところが見られた。ああなんだか、柳下監督との3年間って、そんな旅みたいなものだったかもしれないなあと、ふと思った。

 熱海から静岡へ向かう電車に乗り換えたとき、同じ車両に私のほかに赤と黒のマフラーを巻いた人達が他にも乗り込んできた。みんな向かう先はひとつ、静岡スタジアム エコパ。はじめての天皇杯準決勝。ここまでの道程は、しかし、「平坦ではなかった」という表現すら平坦に思えるほどデコボコのアップダウンの連続だった。



 10月の天皇杯チーム初戦の3回戦は、九州リーグの新日鐵大分に1点リードしながら試合終了間際に追いつかれて延長戦へ。延長で追い詰められてようやくなんとか勝ち越したけれど、なにしろ前の年に3回戦でJFLの佐川急便東京相手に初戦敗退という体たらくをかましている我がチームなだけに、「まさか今年もJ1とやれないで終わるのか」という己の恐怖と戦いながらの試合になってしまったのは間抜けな話だった。

 その前の月までチームは少し上り調子にあったようにみえたのだけど、チームの攻撃の要だった砂川が抜けたこの天皇杯初戦は、砂川の抜けた穴が誰の目にもはっきりとわかる有様で、続くリーグ戦、まだ昇格への可能性を僅かながら残していたのに、ホームで山形に1−1の引き分け、アウェイで横浜FCに0−3と完敗。10月21日のホーム神戸戦に敗れると今季の昇格の可能性が消滅する、そんなところまで一気に追い詰められてしまっていた。

 その10月21日のホームゲームというのは、チームにとって大きなイベントが組まれていた。

 10周年記念のOBマッチ。チームとしてはもちろん初のことである。懐かしいあの選手達のプレーがまた見られる。サポーターは凄く楽しみにしていたし、昔の横断幕を出してきたりとか、色々準備もした。その記念マッチはとても愉しませてもらった。10年続けてこられたことの意義も感じることが出来た。でも今日の本題はあくまで06年のリーグ戦。負ければ今年の目標はここで潰えてしまう。そうは出来ない、させない。…と、思ったのだけど。

 自分達のチームから迸る情熱を感じることのできないまま、与えられた任務を、それぞれがただ与えられた仕事のようにこなしていくところを唯眺めるだけのような、そんな90分を過ごしたあと、スコア1−4、「J2残留」という結果を私達は手にした。そこに特に怒りもなにも感じなかった。こんなもんか?こんなもんだ。物凄く乾いた気持ちで、そう思っただけで。

 客席をあとにするとき、応援の中心となっているグループの男の子がしゃくりあげるように泣き続けてるのを見た。そこではじめてやりきれない気持ちになった。チームはこんなふうに、負けて悔しくて泣けるほどのものを持って来て今年、戦っていたんだろうか。少し、疑った。



 リーグ戦は事実上終わったようなものだった。それでもシーズンはまだ残っている。今年これから残されたことは、監督の去就もそうだったし、それに関わらずここまで3年間築いてきたサッカーを、J2残留という結果を受けて、しかし来年以降どうするのかということ、それと、天皇杯。その何れにも動きがあった。

 11月8日、天皇杯4回戦の相手は千葉。
 5日前にナビスコカップ連覇を果たしたばかりで、幾ら連戦の疲れがあっても、仮にも国内カップ戦王者のチームが格下のJ2の、しかも来季の昇格を果たせなかったチームに負けるなど誰も想像しなかったろう。だからその夜のスポーツニュースは「波乱」「まさか」という言葉が踊ることになった。J2勢としては唯一、5回戦に駒を進めた。

 その日チームが見せた戦いぶりは、ほんの2週間ほど前に思った「仕事みたいな」サッカーではまったくなくて、柳下と選手達が3年間積み上げてきた「攻めの姿勢」、それが貫かれたものだった。守る時間が長くなったって、それは決して「守り」のサッカーじゃない。攻め込まれたって、攻め返すために必要な形でボールを奪えるように。自分達からゲームを考え、自分達からゲームに立ち向かう。それを千葉相手に貫きそして勝った。

 信じて進んできた道は間違いではないと思った。だからこそこれから先、チームがどこへ進んでいこうとしているのか、明確にしておく必要があった。千葉に勝った3日後のホーム愛媛戦のあと、城福強化部長を迎えて強化の今後の方針などを説明してもらった。サポーター主導で行われたこの会は、チームとしても初めてのことだったけれど、強化部の話を直接聞いて、そうそうブレることなく進んでいけそうだとそれなりに信じることが出来て終わることができた。ただし、そのときだけ。

 柳下監督との契約を延長しない、今季限りでの退任が決まったと新聞報道があったのはそれから間もなくのこと。昇格という結果を出せなかった、3年目の今年、昇格争いということすら出来ないで終わったのだから、それも致し方ないことだろうという見方は少なくなかった。ただこれまで続けてきたスタイルを崩すことなく続けていけるのならば、という前提付で考えていたところに、城福強化部長まで今年限りで解任というニュースがついてきたのだから堪ったものではない。このあいだ来年の話をしたばっかりだったのに、アレ一体なんだったの。ここまで3年間我慢して作り上げてきた、そして漸く形になりかけた「札幌のスタイル」というものを、まさかここで「昇格のためには背に腹を換えられぬ」とばかり一気に路線変更して崩してしまうようなことが、あったりするのか。クラブに対する不信感、来季以降への不安が、一気に募った。

 12月2日。リーグ戦最終節。
 J1は優勝を争う直接対決、J2も自動昇格と入れ替え戦の瀬戸際の攻防、翻って自分達のところはというと、天皇杯が残っていたので「柳下監督ホーム最後の采配」で、対する鳥栖は、今季で監督を勇退しフロント入りすることになっていた松本監督のラストゲーム。軍配は鳥栖のほうにもののみごとに上がった。「松本監督のために」攻守一体となって、一枚の大きな壁のようになってプレーする鳥栖に、札幌が付け入る隙はどこにもなかった。0−2で敗れる、なんとも締まらない最終戦。

 試合後は暫くの間サポーターの一部が座り込みを行い、クラブに対して再度の強化方針の説明を求めた。そういうことをするのは、普段から案外争いを好まないこのクラブのサポート史からしてはじめてのことで、座り込みと言いながら「あまり大掛かりにクラブに迷惑のかからないよう」とか微妙な配慮もされてのことだった。ただとにかく、「なんだかよくわからないまま」新しい体制になっていくのはイヤだった。ましてこれまで信じてやってきたことが無に返されるのは絶対にイヤだった。自分達から動いて何か形になることなら、自分達から動こう。サポーターのそういう意思もまた、3年間という時間の中で培われたものに、たぶん違いない。その座り込みは最終的に社長との1時間ほどの話し合いのあと、近いうちに再度機会を設けるという形で一旦終わった。



 来季への不安を抱えながら、それでも私達には天皇杯があった。気持ちを切り替えていこう。5回戦は小雨のフクダ電子アリーナ、相手は新潟。これに勝てば次の準々決勝の会場は仙台。自分達にとっては最も近い(という形容が似つかわしくは本当はないが)会場地であるので、少なくともそこまでは行きたいぞ、と皆思っていた。というよりも、負ければそこで、柳下サッカーが終わってしまう。どうせ終わるのならば監督の誕生日・元旦の国立まで。行けるかどうかは別として、行きたかった。とにかくそこまで行きたいと思った。

 「どうせだったらPK戦まで見たいね〜」と仲間の一人がゴール裏で軽口をたたく。
 「そこまでみっちりやるのもいいね〜」
 「でもウチPK戦で勝ったことないじゃん!」

 などという能天気な会話がうっかり天に届いてしまったのかどうか、果たして試合は本当にPK戦に突入する羽目になった。2−2のスコアの、札幌の2失点はいずれもGK佐藤のミスといえるものだった。特に2失点目は、ゴールキックを後ろから掻っさらわれての「珍プレー」だったから、これでPK戦を止めて勝ったらまったく自作自演だな、などと思っていたら、結果その通りになってしまった。

 PK戦は最初札幌のゴール裏サイドで行われた。フクアリはピッチが近いから、選手の表情が良く見える。先行の札幌はその日2得点を叩き出していた砂川。志願の一番手だったという。難なく決める。1本、1本と選手達がPKを決めていく。誰ひとり外さない。そのたびに、堂々とした表情や、ガッツポーズ、見たことないような笑顔を私達に向けた。芝の状態が悪いからと、7人目から反対側のゴールに移動して、札幌の8人目の西嶋が決め、新潟の8人目は、先ほど佐藤からボールを掻っ攫ってゴールした矢野。さっきの悔しさがあるはずだ。逆恨みのような気もするが細かいことはこの際いい。優也はきっと止める。とめる…止まった!チームとしてPK戦初勝利、2度目のベスト8進出。さあ、次は仙台だ。

 札幌から仙台へ行こうと思ったら、経路は3通り。
 その1、ふつうに飛行機往復。一番楽だが一番高い。なによりそんなに便数がないので利用できる人数が限られる。その2、JR。夜行寝台の往復あるいは乗り継ぎ。その3、苫小牧からフェリー。これが一番安い。陸海空から仙台を目指してサポーター大移動。目指すものはクラブ初の準決勝、そして賞金2千万円。

 12月も半ばになると、降雪のため札幌では練習を出来る場所が確保できなくなる。かといって道外でキャンプを張れば、その分当然移動費・宿泊費その他諸々の経費が余分にかかる。もしもここで負けてしまえば、ただでさえ赤字の今年の更にその上塗りをすることになる。それはあまりに目も当てられない。J2勢唯一のベスト8は確かに十分勲章だけど、栄誉だけではなく実も必要な自分達。クラブの社員の人もそれを(恐らく私達以上にはるかに)実感しており、「仙台へは自費で(フェリーで)行きます。ゴール裏で本気で応援しますよ!」と言ってきた。



 JRでの移動を選んだ私とその仲間は、札幌を夜の7時半に出る寝台特急「北斗星」に乗車。仲間と思しき出で立ちの人達と多数すれ違う。ロビーになっている車両はほとんどサポーターに占拠され、さながら年齢層の怪しい修学旅行。焼酎をいただきながら列車は進む。北斗星は寝ている間に青函トンネルを抜け、JR北海道からJR東日本へ。朝の最初の車内アナウンスはJR東日本の車掌さんの声だった。夜明け直前、霜が降りた東北の大地は一面靄に包まれて、白いカーテンを引くように太陽が昇ってくる。白んだ空に渡り鳥が隊列を成して飛んでいく。あたりまえに訪れた朝は、あたりまえ以上に美しく。

 続々とスタジアムに集まるサポーター達。自費遠征でやってきたクラブ社員の方たちに会うと、クラブマフラーにレプリカを着込んだ出で立ちで「どこからどう見てもサポーターにしか見えないですよ」。

 準々決勝の対戦相手は甲府。去年までJ2で一緒にやっていた相手。だけど甲府は今季のJ1残留を決めていて、すっかり先輩風情だった。実際試合をしてみると、去年は同じリーグのちょっと手ごわい相手としか思っていなかった甲府が、「J1の格上のチーム」に変貌をしっかりと遂げていた。1年間J1を戦い抜いてこれた自信が確実に彼等にあった。だからといってそれに臆するつもりはなかった。というより、臆する間もなく先制点がこちらに転がり込んでいたものだから。その1点は札幌にとっても甲府にとっても、結果的に思った以上に大きいものになった。ベタな書き方だけど、何度か甲府に訪れる決定的チャンス、そのチャンスを甲府は決められず、札幌は甲府に比べて少なかったチャンスをしっかりとモノにすることができた。その差が2−0というスコアになって、試合は終わった。初の準決勝進出。準決勝!というよりも「にせんまん!」と、つい叫んでしまったのだけど。

 そこから先は、ただただ慌しく過ぎていった。
 年の瀬の慌しさに加えて準決勝へ向かう足の確保とかチケットだとか、そこで勝ったら愈々元旦国立でそうなったらチケットどうなるんだとか、帰省時期で飛行機ないよだとか、フェリーで大洗まで行こうとしたら時化で欠航になったよとか、なにもかもが経験したことのない世界で、その忙しさが新鮮で誇らしくて。

 更にその合間に、最終戦の座り込みのあとクラブと約束した強化についての話し合いがあり。席上には翌年元旦付けで強化部長に就任する三上さんと児玉社長が来られた。その時点で明らかに出来ることは、明らかに出来る範囲内であらかた説明してもらった。来年どうなっていくのかは、なにしろ人間のやることだから、やってみないとわからない部分はある。それでもこのクラブのフットボールにはちゃんと「理念」があり、それを安易に蔑ろにすることも当面なさそうだ、ということは感じられた。ここでもまたひとつ、今まで薄らぼんやりとしか知らなかった、新しい世界を見ることができた。それも「自分達で動いた」サポーター達がいたからに他ならず。迷いを封じて、来る新しい年、その前に、準決勝に向かう。



 北海道から行っても寒く感じられるほどの風が強く吹き付けるエコパで。
 リーグ戦の優勝を最後まで争っていた、日本代表クラスの選手を大勢擁したガンバ。翻って札幌は、リーグ戦で25得点のフッキは既にチームを離れており、中盤の屋台骨の大塚も出場停止、さらには攻撃にとって欠かせないアクセントの西谷は準々決勝の負傷で先発を外れている。リーグ戦の最中なら「今日は勝てないよ」とサポーターがぼやいてしまうような布陣で、前半に1点、後半に(やや不運な)2点目を奪われてしまったけれど、そこから1点を返した。

 砂川が負傷で退いて3人の交代枠を使い切ったあとの顔ぶれは、夏場にサテライトでやってたようなメンバーになっていた。技術の差は見るまでもない。ガンバの選手達のプレーのひとつひとつの滑らかさは普段見ることのない世界。それでも札幌の選手達は、この天皇杯、J1相手に一度も走り負けず、パスを繋いでゴールに迫り、「自分たちであること」を最後まで貫いた。対戦したJ1の4つのチームすべてからゴールを奪うことができた。スコアレスの試合はひとつもなかった。札幌の指向した攻撃性は、柳下監督と3年間積んできたものは、きちんと示すことができて、それで終わった。

 試合が終わって選手がそこにいなくなっても、ゴール裏に集まったサポーター達は、何を示しあったわけでもなく、誰一人座ることなくその場に立ち通した。監督に最後の挨拶をしたかった。記者会見が終わって再びゴール裏に姿を見せた監督は、サポーターにトラメガを渡されて、ひとわたり言葉を述べたあと、監督を胴上げしようとピッチに降りたサポーター達に囲まれるもそれを固辞して、そこを去っていった。試合が終わってからかなり長い時間が経っていた。監督の姿が見えなくなったあとはじめて、エコパの場内に「清掃作業をはじめますので」のアナウンスが流れた。スタジアムもそこまで付き合ってくれていた。

 新幹線に乗るために掛川の駅で待っていたら、曽田さんに偶然会った。曽田選手ではなく、曽田選手のお父さん。会社で長年付き合いがあるので顔見知りで、今日もお互い応援に来ることを知っていた。その場で息子である曽田選手のほうをあらためて紹介された。「今日は頑張られてましたね」と、声をかけた。実際DF陣は本当によくやっていたと思ったし。だけどそれに対して曽田選手の答えは「いや…負けたからダメっす」という素っ気無いものだった。でもその素っ気無さと「負けたからダメ」という言葉が、選手がどれだけ本気でこの試合に勝つ気で向かっていたのか、私に感じさせるには十分だった。

 その後ろで切符を買いに並んでいた、元のサポーター仲間で、今はライターとして活躍しているSH君に久々に会う。

 「いや、もう、十分でしょ!」。

 開口一番笑顔の彼の言葉がなんとも満足げで、本当にそうだなあ、と思った。そう、もう、十分だ。



 早く行ければいいのだと思っていた。早くたどり着ければいいのだと思っていた。だから飛行機で高いお金をかけて無理してでも飛んでった。でもいつもそれは日帰りだった。そして今度同じ場所に行こうと思ったとき、もう私達にお金はなくって、飛行機で行くことはできなくなってた。各駅停車の夜行列車で行くしかなくなってた。それでもいいと思った。夜行の旅も楽しそう。寝てればそのうち着くだろうし。

 甘かった。揺れるわ、止まるわ、遅いわで、寝ては起こされ、寝ては起こされの旅だった。行けども行けども目的地は遥か遠く、夜も明けず、あとから出たはずの列車にスピードを上げられ追い抜かされもした。ホントにこの乗り物でいいのか、この線路でいいのか、何度も疑った。疑ったけど、他に今更乗り換えたいとなぜか思わなかった。列車から降りようとも思わなかった。車掌さんに時々文句を言いながら、それでも車掌さんを信じて乗っていったら、白々と夜が明けてきた。そして私たちはすばらしく美しい朝日に出会う。

 地平線から昇りゆく朝焼けのドラマ。それは、遅い列車に揺られて長い夜と時間を越えてきたからこそわかった美しさだった。飛行機じゃ見えなかった。新幹線じゃわからなかった。そしてもしかしたら車掌さんは、この朝日を私達に見せたくて、ここまで連れてきてくれたのじゃないのかと。自分が途中でこの列車を降りることになるとしても構わずに。

 朝日に出会ったあと、車掌さんが交代になった。
 新しい車掌さんは同じこの列車を、目的地に着けるように運転していくのだろう。そこで出会う車窓はあの朝日のように劇的ではないかもしれないけれど、けれどこれからは何も見えない夜じゃない。雨雲に出会うこともあれば、抜けるような青空に出会うこともあるだろう。風の匂いを嗅ぐこともあるだろう。新しい車掌さんは彼なりに美しいと思っている風景を私達にきっと見せてくれるだろう。それをまた信じて、列車の窓から身を乗り出して、赤と黒の旗を振って、歌をうたっていこう。私達の旅はまだ、同じ線路の上を走り続けている。
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