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| 札幌からのメール 07/12/07 (金) | <前へ|次へ|indexへ> |
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ONE HEART 文/笹田啓子 |
ちょうど一年前の、天皇杯準決勝。エコパへ行く道中、まだ明けぬ夜を行く列車。そこから見た夜明けの海は本当にドラマチックで、その後に広がった、夜が明けきった雲ひとつない空の青さが、やけに平坦に感じた。後続の新幹線で向かっている友人から、富士山が綺麗に見えるよと喜んで写メが送られてきて、確かに富士山が綺麗に見えたけど、でもほんの2時間ほど前に見た夜明けの色には適わなくて、私には退屈で眠気の方が勝っていて。
いつもなら嬉しいはずの好天に、なぜか心を動かされず、けれども着々と進んできた列車の窓からエコパが見えたときに高揚した気持ち。駅に降り立つと、さっきまであれほど凡庸に見えたはずの青空は、決戦に相応しい、どこまでも澄んだ色に見えて。
2006年から2007年への旅は、あのときの列車の旅とほんとうによく似ていた。
劇的な夜明けと、それとの別れ、シンプルな青空と緩やかに降り注ぐ日差し、それはそこに集まる人達の頬を間違いなく輝かせ。
途中遅れそうになりながら、私達が長いこと乗っていた列車は、結局は予定通りの時間に、2つしかないホームにいちばんに滑り込んだ。手元の切符は、乗車期限が切れる寸前だった。
こんな最終戦を迎えることになるなんて、夏場には予想もしていなかった。
最大で13の勝ち点差をつけていた。8月の大通のビヤガーデンでは、「どこで(昇格が)決まるだろう」「どこだったら行く?行ける?」、そんな話題が酒の肴になっていた。このまま行けるだろう、という予感、けれども「このまま行ける」と言い切るには、残りのリーグ戦はまだあまりにも長すぎて。
大きなアドバンテージは、9月を過ぎると、季節に伴ってまるで落葉するかのようにきれいさっぱり落ちてしまっていた。
8月の末から9月頭にかけての5連戦で、1勝1分3敗。そのうち2敗は、今季結果的に12位13位で終わった水戸と徳島に対してのもので、上位との直接対決が続く9月から10月にかけての5試合にいたっては1勝4敗。それは誰の目にも明らかな失速だった。「ここまで来たら昇格して当然」と思われること。だけど決して突出して強くはなかったこと。絶対的なものがなかったこと。暑さで蓄積されていった疲労。まだ残りは長いリーグ戦。それらの全てが複雑に絡み合って、アドバンテージと選手の自信は奪われていった。
9月22日の湘南戦に大敗した翌日、天皇杯の2回戦を見に厚別へ行った。そこで取材に来ていたライターの斉藤宏則君と偶然会ったので、そのまま一緒に試合を見ることにした。
目の前の試合を追いながら、自分達のチームのことを語る。宏則君は10代の頃から本当によくサッカーを知っていて、そしてサッカーそのものを深く愛している青年だったので、安っぽい選手批判やチーム批判はしない人だった。普段からチームを職業として見ている彼のことだから、今のチーム状態について何ぞ打開策でも考えているかと思って聞いてみようと思ったら
「打開策ありますかねぇ…」…先に聞かれたし。
「誰か一人に頼って勝ってきたわけじゃないから、誰か入れたら済むって問題ではないしねえ」
「ああいう戦い方だから勝ててきて、ああいう戦い方だからこそドツボに嵌ったら抜けられないんですよねえ」
目の前ではFC岐阜が大阪体育大学相手に梃子摺っている。目はボールを追いつつ、わがチームを思って目は泳ぐ。
「だけどさあ、マグレでここまで勝ってきたわけじゃないよね」
「そうそう 本当にあの戦力でよくここまでやってきてるんですよ」
誰にも頼らずに勝ってきていたこと、間違いなく自分達の力で勝ってきたこと、それをどうにか思い出してほしいと思った。特効薬は見当たらない、だから結局それしかなかった。それが今のチームを立て直す唯一無二のことで、それが出来なければ、せっかくここまで保ってきたものを手放すことになり…。
その翌日、半ば陰鬱とした気持ちで練習を見に宮の沢へ行く。
選手に声でもかけようかとクラブハウスの前まで行ってみる。と、その日はサッカーをやっているらしい小学校低学年と思しき子供達が7〜8人、親御さんを伴って選手達が出てくるのを今か今かと待っていた。○○せんしゅー!と、ちゃんと敬称つきで、クラブハウスから出てくる選手達を呼び止める。サインをもらったり写真を撮ってもらったり。その子供達にとっては、連敗していようがなんだろうが、彼等は間違いなく「憧れのプロ選手達」だった。子供達が選手に向ける眼差しのあまりの純粋さに、見ているだけのこちらまで何故か目頭が熱くなる。
「ふじたせんしゅ〜!」「いしいせんしゅ〜カッコイイ!!」
選手達もいつになく相好を崩している。勿論中にはそれらに応えられず黙々とサインをするだけの選手もいたのだけど、普段ファンサービスのいい選手が、子供に余裕をもてないぐらい、それだけプレッシャーが強いのだろうとも、主将の芳賀を見ながら思った。
「この子ら泣かすような結果にしちゃ、いかんよね」
一緒に行っていた友人が言った。そうだ。この子らの思いに、次こそ応えてやれ。子供達にとって、カッコイイ憧れのプロ選手ってところを、どうにかしてでも見せてやれ。子供達のあの純粋な表情が、選手達に新しい勇気を与えてくれることを、なんの根拠もなく期待した。
しかして期待通り次の試合、今季最後の厚別ナイター・山形戦は、今年のチームらしい戦い方で勝つことができた。これはあの子供達効果に違いない、これでやっと取り戻した!と思った僅か4日後の東京Vとのアウェイゲームは、開始早々の失点から5失点と、今季最大の失点で大敗を喫する。せっかく掴みかけたと思った何かが、指の間からずるずると零れ落ちて行く。続くC大阪との試合も落とした。ずっと遠くに思っていた2位以下のチームが、振り返るとすぐ傍まで来ていた。この頃には「いつ決まるだろうね」という会話は聞かれなくなっていた。
流れを漸く止められたのは10月も半ばに入ってから。
厚別今季最終戦の草津戦を勝って連敗を止め、2位以下のチームも足踏みをした。そして迎えた、終盤戦のひとつの山場と考えられていたアウェイ福岡戦。序盤に藤田が負傷交代、代わりに入ってきたのは高卒ルーキーの岡本。ルーキーながら攻撃に関しては、砂川や西谷と劣らぬ出来だという話だったが、実際に試合でどうなのか、と思ったことは瞬く間に杞憂になる。先制点となるプロ初ゴールを決める。上出来の展開!は、これまた瞬く間にピンチに変わる。FWの石井がこの日2枚目の警告を貰って前半35分で退場してしまう。J2でも屈指の攻撃力を誇る福岡相手に、残り55分を一人足りない状態で抑えなければならない…。
しかし今にして思えば、この「55分間」が、それまで失っていたものを取り戻すキッカケに、結果的になったのだから、人生にはまったく無駄なことは起こらない。
「一人足りなくなったけど、今までここまでやってきたことをやればいい」と、思った。それはピッチの上の選手達もまったく同じ思いだったようだった。連敗していたころになくしていたものが、その55分のうちに、戻ってきた。選手達自らの手で、手繰り寄せた。
手ごたえはその試合から、次の徳島、愛媛戦にまで続いていった。アウェイ愛媛、0−0のままロスタイム。引き分けで終わるのか。20時50分を過ぎて、友達から携帯に速報メールが入った。「引き分けで終わったかあ」と思って見たその文面には「入った 大伍」。9月にブラジルに短期留学に出た西大伍。しかし前線の選手の怪我が続いて、緊急で呼び戻されたのがその試合の3日前。戻ってきて即ベンチ入り、その大伍が決勝点をロスタイムに決めたって?さすがに手が、震えた。
その後、11月11日の鳥栖戦、18日のホーム京都戦、また25日の試合のない日、の3試合に自分達の昇格がかかっていったのだけど、鳥栖戦ではそもそも負け、勝てば昇格だった京都戦は分け、試合のない日の京都−仙台で仙台が引き分け以上で昇格といった日に京都が勝ち、結局最終節に昇格決定が持ち越されることになった。
その1週間は自分達にとって、今までで一番長くて重い1週間になった。
最終節の相手は水戸で、2位と12位の対戦では普通なら組し易しと考える対戦だろうが、なにしろ今季水戸には一度大敗している。それでなくともここ数年は、水戸に足をすくわれることが決して少なくなかった。肝心なところで苦手な相手、という思いが、対戦成績以上にあった。勝って当たり前、と誰もに思われる相手との試合へのプレッシャー。引き分け以上で昇格。負ければ恐らく入れ替え戦。天国と地獄。
人生に無駄なことなど起きない。どんな突発な、一見悲劇的と思えるような出来事だって、それはきっと不必要なことではないのだ。自分達はここまでかなり頑張ってきているつもりだった。だからそんな1年の果てに、歓喜ではなく、もしかして絶望が待っているのだとしても、それだって恐らくは自分達に必要な結果なのだ。どんなふうに終わっても、それは自分達が受け入れるべき結果なのだ。
…と、ありとあらゆるケースを想定して、ダメなら足りなかったってことだ!諦めろ覚悟しろ!ネガティヴな結果になったとしても怖くないや!…と、自分を落ち着けさせようとしても、次から次へと、ネガティヴな想像とおそろしくポジティヴな想像が頭の中を駆け巡り、そのうち言葉が頭の中で言葉の体を為さなくなる。鬱々としたものが心と身体のあちこちに溜まってくる。
チームが出来て11年目にして初めて迎える「消化試合でない最終戦」。過去に2度の昇格と2度の降格を経験したけれど、そのいずれもが「落ちるときも上がるときもぶっちぎり」だったから、最終戦は常に消化試合だった。98年の参入戦を除いては、幸か不幸か最後の最後までしがみついてでも戦う という経験がなかった札幌。これはもはやJ2の神様が与え給もうた卒業試験に相違ない…。
「また人文字やるので、準備にこれそうな人いたらお願いします、午後3時からですが…」
と、USのU君から連絡が来たのが、そんな気分を絶好調に味わっていた試合2日前の木曜日の午後。人文字は18日の京都戦でクラブが配布した赤と黒の紙を利用してやったばかりだった。最終節でも同じように紙を配布する、とクラブが決めたのが水曜日の夜。人文字準備に充てられた時間は、実質3晩。金曜日の午後に手伝いにドームに行くと、2晩で作った新しい人文字用の図面と、やり方を告知するフリーペーパー。それらを当日集まった約15人で座席に配置する。人文字用の図面は、座席を撮影した写真のうえに、修正テープで一席一席指示されたもの。
「これ、すっごい面倒だったろうなあ…」
派手なパフォーマンスのためにする努力は、いつだってとても地味なもので。シートに紙を並べていく様は田植えに似て。
ドームでの準備を終えて家に戻って、まんじりともせず夜を過ごす。布団に入っても頭は半分起きている。明日の夜、私はどんな思いでいるのだろう。浴びるほど酒を呑んでいるのか、入れ替え戦会場に行く予定を立てているのか。
キックオフが12時からだったから、開場時間も当然とても早いものとなり。
開場を待つ列は、地下鉄の始発とともに長く伸びた。集まった人達の横顔を昇って来たばかりの朝日が照らす。氷点下に冷え込んだ朝、吐く息は白く、しかし頬は赤く心は熱く。
その日は28000からの観客が集まった。だけど、その日そこに来たかった人が全て来れたわけではなかった。
最初からどうしても抜けられない仕事が入っていた友人、来る予定だったけれど尿管結石とやらで救急車で運ばれた友人は体調不良を理由に断念し、また別の友人はあろうことかスリに合い旅費を奪われて来札を断念せざるを得なくなっていた。どうしても旅費の工面が出来なくて来れなかった人もいた。
みんな、サッカーもチームも本当に愛している人達だ。だけど、サッカーを全てには、できない。チームを想いながら、どうしても生活を優先させざるを得なかった人達。ほんとうに来たかった試合に、ほんとうに力になりたかった試合に、泣く泣くテレビやパソコンの前で結果を待っているしか出来ない人達に、自分達が贈ってやれるのは、「昇格」という結果だけだ。
開場と同時に人がスタンドに詰め掛ける。場内に篭る熱気。「今日を今季最後の試合にするんだ」。ピッチ練習に出てきた選手達に歌を送り声援を送る。スタンドには、ネットを通じて呼びかけられた小さな旗がいくつも揺れている。選手入場、赤と黒の縦縞がスタンドに描かれる。その上に、きのう準備した人文字、”ONE&ONLY”。たったひとつの、かけがえのない、札幌。
そして始まった試合は、前半11分に目の前のゴールに水戸のシュートとも思えぬヘディングが、素晴らしい角度でフワリと飛び込んでしまう。予想もしない早い時間の失点。緊張からか動きの著しく重い選手達。「入れ替え戦?入れ替え戦?」。準備していたネガティヴな想像がこんなところで総動員。だけど応援にそんな素振りは僅かだって見せられない。弱みなんか見せるもんか。歌う、歌う、歌う。前半43分、待望の同点ゴールはダヴィ。振り出しに戻って前半終了、ハーフタイムに見た他所の途中経過では、1位の東京Vも3位の京都も勝っていた。楽には、なれない。
時間が経つにつれて選手達の動きから緊張感が消えていった。今年ここまで何度も見てきた守備の陣形が整い始める。これが最終戦でなければ、この条件下でなければ、私達はもっと気楽に「今日は勝ちだな」とか余裕で見ていられるような試合、だったけど今日は話が違う。引き分けで良し、だったけどロスタイムは怖い。できれば、なんとか、どうにか、勝ち越すことができれば…。
後半38分。交代で入った岡本のパスは走りこんだダヴィにちょうどピッタリ合い、DF2人の間を抜け放った難しい角度のシュートは、豪快に自分達の目の前のゴールネットを揺らした。「サイドネットかと思ったら入ってる!!」。「変な顔の外国人選手」「ものすごく一生懸命だけど、フッキに比べたら…」そんなダヴィは1年間、走りに走りに走りぬいた、FWの中山とともに。そして大一番に、貴重な、貴重な2得点をたたき出した。
自分達の歌声の隙間から、スタジアム全体からの拍手の音が聞こえてくる。ロスタイム。あと3分。ここから1点取られたとしても、もう1点はさすがに取られないよな。いや昔取られたことあったな、しかも3点も。勝ちたい勝ちたい勝ちたい。タイムアップの笛は聞こえるはずがなく、バックスタンドのお客さんとピッチの選手達が跳びあがったので知った。うわー昇格ー!と思ったら、オーロラビジョンに浮かんだ文字は「J2 CHAMPIONS」。しかしすぐに消えたので、なんだよ昇格と優勝を間違うなよと、本気で思った。
しかしそれは間違いではないと、続いて表示された「試合終了 C大阪2−2東京V」で判った。私の後ろの少年は号泣し、私の前の壮年も号泣する。2002年の降格以降本格的に応援しはじめた人達にとっては、これがはじめての昇格で優勝。3度目の優勝になるベテラン達は「俺、選手は信用するもんだと思ったよ!あんな角度のシュート入るなんて絶対信じられなかったもん!」。信じようよ!
私は涙もなく、ただ、うれしくてうれしくてうれしくて。達成できた、ということよりも、監督が柳下から三浦になってのこの4年間、自分達が信じて見てきたこと、信じてやってきたことを手に持って、来年本当にJ1に挑戦しに行けるんだってことが。「J1に挑戦していいですよ」って、J1への入場券をもらえたことが。
試合が終わってセレモニーも終わって、大勢入ったお客さんが引けるまでドームの通路で一休み。そこに今年の頭までクラブの職員として働いていたTさんに偶然出会う。抱き合って喜んだ。出向期間が終わってもとの会社に戻ったTさんは、今年から「一般のサポーターとして」ゴール裏に応援に来るようになっていた。アウェイも2度行きましたよ!という。そのうちのひとつが愛媛戦で、「あのときのあの勝ち点がなかったら、今日優勝できなかったんですよね!」と、また再び喜び合う。
本当に今年ほど。「あのときのあれがなかったら」と思い返した最終戦はなかった。
ロスタイムにゴールを決めて勝っていなかったら。変なゴールで同点に追いついていなかったら。厚別のロスタイム同点弾がなかったら。一人足りなくなって1点を守り抜けなかったら。
あの選手のあのパスがなければ。あのゴールがなければ。あのシュートがなければ。あのカットがなければ。あのクロスがなければ。あのセーブがなければ。あの突破がなければ。あの鼓舞がなければ。あの献身がなければ。
あの声がなければ。あの歌がなければ。あの手拍子がなければ。あの怒りがなければ。あの罵声がなければ。あの涙がなければ。あの励ましがなければ。あの笑顔がなければ。
今ここにいる人も、今ここにいない人も、これからいなくなってしまう人もすべて、ひとりひとりの想いがそこになければ。
ひとつひとつは取るに足らない小さなものにすぎない。たぶん力はそんなにない。だけど、どんなひとつでも足りなければ、きっとこんなふうに輝くことは、できなかった。すべてをひとつにした、ひとつにできた。だから、いま、ここにたどり着けた。
去年の攻撃的サッカーから今年の守備重視、そこで掴んだ勝ち点の数々は、まさに「夜明け空のあとの平坦な青空」に程近かった。青1色の空に太陽が輝いている、子供がよく描くような単純な空の絵のような、そんなシーズンを過ごした。けれどもその空から注がれた日差しは、そこにあった名も無き石達を輝かせた。ほんとうに美しく強く輝かせた。退屈だと思っていた空に、私達はいつのまにか魅了されていた。こういう美しさもあるんだ、と知った。そしてそれはどこか懐かしい美しさで。
けれどもいつまでもそれに酔ってはいられない。私達は駅に降り立てた、だけどそれは「会場」への入場を許可されただけに過ぎず、新しい戦いはすぐに始まる。今年輝いた石達は、たまたま光を受けて輝いただけの唯のガラス玉なのか、それとも誰にもまだその価値を知られていない、貴重な宝石の原石なのか。本当の宝石の如きチームと対峙したとき、怖気づいて呑まれるだけか、それとも自分達の輝きを放てるか。後者でいられるために、来季再び、こころ ひとつに。
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