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 頑張れ!女子サッカー 07/03/07 (水) <前へ次へindexへ>

 プレイバック 2003女子ワールドカップ・アメリカ大会 大陸間プレーオフ 〜(中編)
 海抜2,200メートルの高地、7万人を超える大観衆…。
 アウェーの洗礼が待っていた。
 
取材協力/吉田弘U-16日本女子代表監督(なでしこジャパン前ヘッドコーチ)
取材・文/西森彰


 2003年7月上旬、日本女子代表は、プレーオフ第1戦が行われる敵地に乗り込んだ。吉田弘U-16日本女子代表監督(当時日本女子代表ヘッドコーチ)にとって、メキシコは知らない土地ではなかった。

「メキシコは2回目でした。たまたま私が参加したユニバーシアードがメキシコ大会(1979年の第10回大会・会場はメキシコシティ)だったんです。向こうで最初に全力で走った後で、みんなでハアハアいいながら、酸素ボンベを口に当てていた覚えがあります」

 普通の日常生活を送るうえでは、多少の息苦しさを感じる程度だが、酸素摂取量の限界近いハードトレーニングを行うと、すぐにダメージが出る。タイのアジア女子選手権以来、長期間に渡って緊張が続き、疲労も極に達していたのだろう。現地での練習を行うと選手たちが次々に体調を崩した。バックアップメンバーで帯同していた福元美穂でさえ、体調を崩さなかったものの、目に見えて痩せたという。日本チームが持ち込んだアンプルは、予想よりも早いペースで消費されていった。

「練習を見ながら、脇で普通にコーチングをしている分には、全く問題がなかったんです。ところが、体調を崩した選手の代わりに、私が紅白戦に入らなくちゃいけなくなった。そうしてちょっと激しく動いたら、その日の晩から体調が悪くなった。山歩きでもゆっくりと登っていけば大丈夫だけれども、急なペースで登っていくと高山病にかかりますよね。あれと同じじゃないでしょうか。酸素が薄くて体に回りきらないから、いろんなところに問題が出てくるんでしょうね」

 苦悶の表情を浮かべる彼を見ながら、チームスタッフは冷静を通り越して冷酷だった。アンプルの残り本数を数えながら、ヘッドコーチの病状と選手のリスクヘッジを天秤にかける。そして宣告した。

「もう、持ち込んだアンプルが少なくなっています。確かに、今はまだ残っていますが、この先、倒れる選手も出てくると思います。だから、ここで吉田コーチに使うわけにはいきません。ひとりで寝て、ひとりで直してください」

 まだ倒れていない選手よりも軽く扱われたヘッドコーチは、ベッドの上から「はい」と小さく答えるしかなかった。

「ブラジル代表がボリビアに乗り込んだりすると、簡単に勝てないでしょう? あれは十分に理解できます。(時差の問題さえなければ)当日に行って試合をやっちゃえるのなら、体調を崩すのは試合の後だし、それが一番だと思いますね。逆に、向こうへ行って1週間くらいいれば、だいぶ体も慣れてくる。2、3日練習をやって試合というのが、一番大変でしょうね」



 地の利が向こうにあることを感じさせたのは、試合当日も同じだった。試合会場は、男子のワールドカップでファイナルの舞台を2回に渡って務めているアステカ・スタジアム。そのスタンドを、ピッチを、メキシコ人たちの送る大声援が震わせた。

「試合開始の時点でも、たぶん3万人か4万人はいたと思います。それを見て『うわー!』って思っていたんです。そうしたら、試合が始まってからもどんどん入ってくる。前半が終わってスタンドを見直してみたら、一番てっぺんまで埋まっていたんです」

 メキシコ・サッカー協会のバックアップもあって、7万5千人とも10万人とも言われる観衆がスタジアムにやってきていた。

「当時、団長として釜本(邦茂)さんが来てくれていたんですが、その光景を見て私たちに言ったんです。『たぶんこれまで行われた代表の試合で、男子まで含めた全てのカテゴリーの中でも、一番、観客数が多かったんじゃないか』って。確かに、日産スタジアムを満員にして試合をやったとしても、たぶん6万8千人くらいですよね。それを、アステカのスタジアムを満員にして、7万5千人とか10万人とか言われている中で試合をやったんですから」



 だが、日頃は数十人、数百人単位の前でしかゲームを行っていなかった日本の選手たちは、この圧倒的なアウェームードを、自らのモチベーションに変えた。小林弥生が先制ゴールを奪い、メキシコに追いつかれると、再び宮本ともみのゴールで突き放す。しかし、メキシコも再び日本のゴールをこじ開け2対2。海抜2,200メートルの高地で、文字通り息詰まるようなデスマッチだった。

 コンディション不良を抱えつつもピッチに送り込まれた選手もいた。しかし、酸素不足の消耗戦の中で、3枚持っている交代カードのうち、上田監督が使ったのはただ1枚。先制点を奪っていた小林から大野忍へのリレーだけだった。サブメンバーもほとんどがコンディションを崩していて、試合に出せる選手が残っていなかったのか、それとも…。当時のヘッドコーチはその疑問にキッパリと答えてくれた。

「選手交代を『行えなかった』のではなく『行わなかった』というのが正解です。まず第一に、チーム全体が非常に良く頑張っていたんです。(『その中で下手に選手を代えると、バランスを崩すリスクも生じます』)ええ、そういうこともあります。体調を崩している選手たちも確かにいましたが、ピッチの中で非常に頑張っていました。先手先手をとれたことも大きかったと思います」

 2回リードしながら、追いつかれたドロー。第三者として記録上の数字を元に読み取る限り、勝ちきれなかった印象が強かったのだが、当事者心理は全く違っていた。

「結局最後は向こうに追いつかれて終わりましたけれども、あのコンディションで、あのシチュエーションで、それでもドローに持ち込んだ。『第2戦は絶対に勝てる』と思いましたね。私だけでなく、チーム全体がそう確信していたと思います」

(以下続く)

<参考>
第4回女子ワールドカップ・アメリカ大会 大陸間プレーオフ第1戦

2003年7月5日 メキシコ2−2日本
GK: 山郷のぞみ
DF: 磯ア浩美、大部由美、矢野喬子
MF: 川上直子、酒井與惠、宮本ともみ、山本絵美、澤穂希、小林弥生(大野忍)
FW: 大谷未央
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