topnewscolumnhistoryspecialf-cafeabout 2002wBBSmail tolink




<前へ|次へ|indexへ>
(撮影:山頭範之)
地域での航海、石垣島にて完結。V・ファーレン長崎、JFL昇格。
プレイバック全国地域リーグ決勝大会


文/ふかえまさひろ 写真/ふかえまさひろ・山頭範之(V・ファーレン長崎オフィシャルカメラマン)

 地域リーグからJFLへの最終関門となる「全国地域リーグ決勝大会」。2008年から出場チームの選出方法が若干変わっている。条件は以下の通り。

全国各地域リーグの優勝(計9)
前年度決勝ラウンド進出地域から各1(今回は中国、Kyu、関西の計3)
全国社会人大会枠2(2007年までは1。可能性は3位までとの明文規定が、NECトーキン突然の廃部に伴う混乱を招いた)
学連推薦
JFL特例(過去唯一の例がザスパ草津)
16チームに満たない場合は登録チームの多いリーグから繰り上げる(今大会は関東と東海が該当)

昨年までと大きく変わったのは、出場チームを必ず16チームにそろえるということ。そのため、昇格へは4チームでのリーグ戦を2度勝ち抜くことが必要になった。

 しかも2008年はカレンダーの都合で、11月22日から30日までの9日間で予選ラウンドと決勝ラウンドで3連戦を2度戦い、勝ち抜けば中3日で移動も挟む過密日程。さらに決勝ラウンドの開催地は当観戦記でも何度か触れたとおり、沖縄県の石垣島。遠征費確保のために街頭募金や資金集めパーティなどを行ったチームも多く、チームの総合力も厳しく問われる大会となった。

 さて、JFLに挑戦して4年目、まさに背水の陣となったV・ファーレン長崎は予選ラウンドBグループ。高知県春野球技場で2002年大会優勝のアイン食品(その際は自動昇格がなく、入れ替え戦でジャトコにPK負けしJFL昇格を逃した)、天皇杯3回戦でモンテディオ山形相手に延長戦までもつれ込む接戦を演じた日立栃木ウーヴァスポーツクラブ、そして羽中田監督が率いてJ入りを目指し四国を制してきたカマタマーレ讃岐の3チームと、たった1枚だけの切符をかけて戦った。



11月23日カマタマーレ讃岐戦(春野)、開始4分で先制点を挙げた有光(中央)。石垣島行きへ本当に大きな先制点だった。
長崎との試合後、讃岐の羽中田監督を囲む報道陣。車椅子の監督の挑戦は全国で取り上げられた。
【高知予選ラウンドBグループ】

 11月22日、グループ最大のライバルと目されたカマタマーレ讃岐が日立栃木に2−0で勝利したのをスタンドで選手各自が見届けてからの長崎の初戦。大会前に選手の移籍退団があったアイン食品相手に前半2分で川崎が先制ゴールを挙げると、29分までに3−0と大量リードを奪い、33分に早くも中盤のベテラン川崎と原田の2人を温存。
 前半で4−0として楽勝ムード、あとはけが人と退場が心配だったが不安的中。73分に右SBの隅田がバックチャージを受け負傷退場。長崎は交代枠を早々に使い切っていたため10人で残り17分を逃げ切ったが、ご両親の目の前でのレギュラーの負傷にいやな予感も。

 続く11月23日は、ともに前日の試合を勝利したカマタマーレ讃岐との大一番。近場の讃岐サポーターや羽中田監督を追うマスコミが多数詰め掛ける中、讃岐は前日と同じスタメン。対する長崎は隅田の負傷と久留(新潟での全国社会人で退場したため初戦出場停止)復帰でDFラインに変更を加えて試合に臨む。

 この日も開始早々に試合動かしたのは長崎。2分にクリアミスを奪った福嶋のシュートはわずかに外れるものの、4分に竹村のパスを受けた有光がドリブルでエリア内に切り込み、放ったシュートはコロコロとGKの脇を抜けゴールへ。早々の失点で明らかに動揺の色を隠せない讃岐に対し、完全に流れをつかんで攻め続ける。そして33分、福嶋がセンターライン付近からパスを受けると、ゴール前まで左サイドを走り抜け、そのままゴールを決めた。

 2点を追う讃岐は41分にMF尾上を投入。さらに62分には初田と谷口をピッチに送り出して尾上を前線に上げ攻撃を強めてペースを掴む。しかし66分、DF相原が足を痛めトレーナーから×印。それでも怪我の治療を終えた相原が何とかピッチに戻ると、73分にはその相原からのパスを吉澤がシュート。長崎GK近藤がなんとか指先で触りゴールを守ったが、これが決まっていたら、という状況ではあった。

 その後も讃岐の攻勢は続くが、前日に威力を見せ付けたセットプレーも、この日は精度を欠き、耐えしのいだ長崎が前半と後半で逆の展開となった大一番を制した。そして、第2試合で日立栃木が9人のアイン食品に後半ロスタイムに追いつかれたため敗退が決まり、長崎が勝ちぬけに王手をかけた。



 そして11月23日、長崎との得失点差6のため第1試合でアイン食品相手に圧勝が絶対条件だった讃岐だが、季節はずれの氷雨が吹き付ける中、攻め立てながらも最後は矢折れ力尽きた感でスコアレスのまま90分が終了。その時点で長崎の決勝ラウンド進出が決まった。

 石垣島への勝ち抜けが決まった後の第2試合。しかし気の緩みと寒さ、疲労、カード累積への警戒から、Kyuリーグでも下位相手に見せたいつものグダグダな内容に。交代選手も機能せず、今年の長崎の課題を再確認する展開に。後半、ようやく日立栃木を振り切った山形恭平のゴールは長崎での最後のゴールとなった。

 同じ時間、他会場では本城では1点をめぐって4つどもえの展開が繰り広げられ、鳥取では石垣島行きをかけたPK戦(山口vs松本山雅、町田vs矢崎バレンテ)と、最後まで激しくぶつかり合った結果、決勝ラウンド進出の4チームが決まった。



11月30日、ホンダロックを破り優勝と昇格を決めた町田ゼルビア。胴上げされる戸塚監督は指揮したチームを3年連続JFL昇格へ導いた。
【石垣島決勝ラウンド】

 この段階でJFLへの自動昇格枠は2つ。JFLでの4位争いも佳境で、鳥取が4位に入った場合のJ加盟審査がどうなるかという問題もあったが、3位になっても、三菱水島との入替戦には進める。逆に言えば1チームだけが最後の石垣島で夢断たれるデスマッチとなった。

 組み合わせは、Kyuリーグの戦いでお互いを知り尽くしているホンダロック、長崎の宿敵であり地域決勝マスター戸塚監督率いる町田ゼルビア、松本山雅とのPK戦を制し勝ち上がった今大会台風の目・レノファ山口の順番。試合順としては恵まれているのでは、という感想は私のみならず選手監督らも抱いたそうで。

 11月28日は長崎での仕事のため、特に後半はホンダロック携帯サイトでの速報すら見れない状況。そのため、終了間際に画面に現れた「0−4」に唖然。さらに更新すると「0−5」になり絶句。Kyuリーグでのライバル相手に福嶋らの大爆発で圧勝し一気に昇格が見え、私も意気揚々と那覇経由で石垣へ。

 11月29日。前日負けた同士の第1試合はホンダロックが2−0と完勝し昇格争いに生き残る。初めて見たレノファ山口だが、この日はサポーターの後押しもなく、Kyuリーグでの上位ライバルと比べると若干の見劣り感は否めなかった。

 そして、予想外に寒風吹きすさむ中、長崎は90分勝ちすれば2位以内、90分を終えた段階で引き分けでも町田とともに3位以内確定という状況で第2試合に登場した。

 長崎はスタートからDFラインを高く保ち、一方の町田は酒井や勝又のスピードで切り崩しを図る。そして試合は、福嶋・有光の長崎2トップの分断に成功した町田が前半途中から主導権を握ったまま進む。だが、町田の攻撃陣がこの日はシュート以外は完璧、逆に言えば最後まで決定力に欠け、長崎も守護神近藤を中心にDF陣が最後の最後で踏ん張りきってゴールを許さなかった。3分のロスタイムの末、0−0の結果は必然だった。

 PK戦では高知ラウンドでの負傷から復帰した隅田が外して町田が勝利し、監督以外の選手スタッフサポーターが大喜びする一方で、3位以内が確定したとはいえ、長崎には喜んでいる選手は皆無。2006年岐阜、2007年FC Mi-oびわこKusatsuと、戸塚監督率いるチーム相手に昇格をかけた試合で3度勝てなかったこと、自力で決められなかったこと、そしてなにより、この試合で自分たちのサッカーが何もできなかったことからの落胆と苛立ちがそうさせたのかもしれない。ただ、チームとして最後まで勝負にこだわった彼らのその姿を見て個人的には昇格を確信した瞬間だった。

 その夜、石垣島の小さな市街地には参加各チームの選手サポーターが入り混じり、私も泡盛と石垣牛に舌鼓を打つ中、原田武男ら一部選手はある行動に出ていた。



80分、長崎の地域リーグ最後のゴールは八戸が決めた初ゴールだった。左から竹村、立石、八戸、有光、田上。
試合後、原田が着たTシャツには過去4年間在籍した全選手の名前が書かれていた。
 11月30日、ピッチ脇で長崎サポーターらが記念撮影しつつ見つめる中、11時からの第1試合は、町田ゼルビアが前日の決定力不足から打って変わって、勝又ら攻撃陣が2点をゲット。ホンダロック相手の反撃を1点に押さえてて試合を進める。このまま町田が勝てば、町田の優勝と長崎の2位でのJFL昇格が決まる一方、ホンダロックが追いつけば長崎に今大会優勝の可能性が出る。長崎にとってどっちがいいのか複雑な思いを抱きつつ試合は進む。そして11時52分、町田が2−1で勝利。この瞬間、V・ファーレン長崎の2位でのJFL昇格が決定した。

 だが、今年のV・ファーレンで満足するのは11月30日の石垣島と宣言し続けていて、実際に4年間待ち望んだ瞬間が来たのに、他力での昇格ということでか喜びも特別な感情も一切沸き起こらなかった。

 昇格するときってこんなものなのかな?と思って第2試合のメンバー表を見たら、長崎の一番下に「FW八戸(やえ)寿憲」の文字。2005年あたりはよく出場していたが、本業が長崎銀行の行員のため昼間の練習には参加できるわけもなく、東川体制の今年はリーグ戦では1試合もベンチ入りすらなかった、予想だにしなかった名前。メンバー提出が昇格決定前だったことを考えると、その時は全く解せない起用だった。

 すでに目標を達成した長崎。やむを得ないことかもしれないが緊張の糸が切れ、劣悪極まりないピッチ状態と疲労で前半から明らかに足は止まり、格下相手のいつもの試合以上に精彩を欠いた散々な状況。一方のレノファ山口は、90分勝ちすれば3位滑り込みでの昇格ということでカウンター攻撃を徹底してゴール前に迫った。

 後半もこの流れに大きな変化はないまま、長崎最後の交代は70分、エースストライカーの福嶋に代え八戸。「思い出出場」「引退試合」そんな声も実際にサポーターの間ではささやかれ、とても点を取りにいく采配には思えなかった。

 地域リーグ最後の戦いがこのまま不完全燃焼で終わるのか。そう思った80分、ダブルボランチを組んだ原田の指示で前目にポジションチェンジした八戸の元に、有光のシュートの跳ね返りを受けた左サイドの竹村からパスが。ペナルティアーク付近からダイレクトで放った八戸のシュートは、様々な人の思いを乗せ、矢のように山口ゴールに突き刺さった。

 プロ選手が増えた中、長崎県リーグから唯一の生き残り選手が、今季初出場で挙げた初ゴール。あまりにも出来すぎたストーリーで2008年11月30日14時2分、V・ファーレン長崎の地域リーグでの4年間の航海は石垣島にて終結した。

 試合後、原田が身に着けたのは白いTシャツ。そこには”We go to JFL”の文字とともに多数の名前が。前夜、宿舎で数人の選手スタッフとともに、過去4年間在籍した全選手の名前を書き記していたのだった。彼らとともにJFLへ、発足当初からチームを支えた男の気持ちが込められていた。

 この結果、Kyuリーグでのライバルだったホンダロックが3位となり、表彰式ではともに昇格することになった長崎サポーターからホンダロックコールが巻き起こり、地域決勝大会は幕を閉じた。



悲願達成後の石垣島で選手、スタッフ、サポーターと共に。We go to JFL!(撮影:山頭範之)
 あれから2ヶ月。八戸は一躍時の人扱いとなり、主力選手はほぼ全員残留。昇格できなければチーム解散の可能性もあった長崎は町田とともにJ準加盟申請を行い、最短で2010年のJ入りに向けて大きく走り出した。

 しかし、長崎県自体がただでさえ経済的に苦しい地域な上に世界的経済危機もあり、2億円といわれるJFLでの運営資金確保、県総合運動公園の改築のため2012年まで使用できず、県内には存在しないJ基準のスタジアムをどうやって確保するのかなど、問題は山積している。加えて、2006年の地域決勝で長崎を破り1年でJ昇格まで果たしたFC岐阜の苦境も伝えられ、Jリーグ入りが薔薇色の未来ではないことが明らかになっている。

 Jリーグの「定員」まであと4つ。現在申請中のクラブを含めると、JFL所属のJ準加盟クラブが4。全国で起きていたJ入りを目指す機運もしぼんでいくことさえ考えられる。それもあってか、年末年始のテレビ出演の際、監督も原田選手も1年でのJ昇格を口にしていた。

 先の不透明な時代、これから辛く苦しいことも一杯ある。だが、いや、だからこそ、今までV・ファーレンに関わったすべての人に感謝したい。その上で、より厳しい全国への航海の船出に向け、気持ちを新たにしたい。2009年、V・ファーレン長崎の新たな「挑戦」は3月15日、流通経済大学との戦いで幕を開ける。

<前へ|次へ|indexへ>