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 webnews 07/03/27 (火) <前へ次へindexへ>
ワールドカップ決勝の舞台を2回務めた、エスタディオ・アステカ。
標高2,600mの戦い 〜その1
2007FIFA女子ワールドカップ・中国大会 プレーオフ第2戦 メキシコ女子代表vs.日本女子代表


取材・文/西森彰

 決戦前日の3月16日(金)の夕刻、メキシコシティの空港で長い入国審査の列に加わると、4、5人ほど前に上田栄治女子委員長が小野剛技術委員長と並んでいるのを見つけた。上田氏は、前回は指揮官として、そして今回はお目付け役としてのメキシコ入りである。4年前、彼の率いる日本女子代表は、高地に対する準備不足からゲームを前にして大幅に戦闘能力を減じた。その苦しい状況下で2対2のドローと凌いだ日本は、国立霞ヶ丘陸上競技場で行われた第2戦を2対0で勝利し、ワールドカップ・アメリカ大会への道を切り開いた。

 あの時も苦しかったが、今回も苦しい。開催順が逆になった今回は、ホームの第1戦で2対0の勝利。アウェーゴールを奪われずに2点のアドバンテージを得たことはもちろん大きかったが、試合内容からセーフティーリードと言うには、やや心許ない。アウェーの第2戦は、1週間前にメキシコへ降りかかった災厄が、そのまま自分たちに向かってくると思ったほうが良い。

「我々は15時間の移動と時差に苦しんだ」

 メキシコ女子代表のレオナルド・クエジャール・リベラ監督は第1戦後の記者会見でそう語っていたが、それを当方が実感させられた。太平洋を横断する飛行機の中で寝過ぎたせいか。体が時差調節に苦しんだのか。あるいは酸素が薄い高地特有の眠りの浅さによるものか。結局、試合当日の朝を朦朧とした状態で迎えてしまう。ようやく眠くなってきたとはいえ、そこで寝てしまうと今度は起きられない心配がある。勢いをつけて蒲団を撥ね飛ばして部屋を出る。

 そして、4年前の舞台を、試合前にひと目だけ見ておくことにした。



 メキシコシティの南に位置するエスタディオ・アステカ。全世界でワールドカップの決勝戦が2回行われた唯一のスタジアムである。収容人員は公式発表で約11万5千人。メキシコリーグの人気チーム、アメリカなどがホームゲームを主催する。眠い目をこすってテレビ中継を見た20年前に思いを馳せていると、空港から乗ってきたタクシーの運転手が、スタジアムの警備員に「中に入れないか」と掛け合ってくれていた。

 彼のネゴシエーションが効いたのか、警備員は鍵束で入場ゲートを開けると、その外壁部分まで案内してくれた。そこには名勝負の記念碑が刻まれている。ペレのブラジルがジュール・リメ杯を掲げた1970年大会。そしてマラドーナが新しいワールドカップを掲げた1986年大会…。

「そいつは、準決勝のドイツ対イタリアのもの。そう、その時だよ」

 壁に並んだプレートを指差しながらひとつひとつ教えてくれた警備員は、脱臼したベッケンバウアーが腕を吊っているポーズを真似すると、腹を抱えて笑った。前回の女子ワールドカップ大陸間プレーオフにも使用され、アクセス、キャパシティ、雰囲気。そのいずれも兼ね備えたエスタディオ・アステカ。しかし、メキシコサッカー協会は、ここでリ・マッチを行うことを避けた。

 スタジアムの内部にも入りたかったが、既に試合まで2時間ちょっとしかない。後ろ髪を引かれる思いで、この歴史あるスタジアムを後にする。だが、300万台の車が吐き出す排気ガスがもたらす光化学スモッグで悪名高いメキシコシティは、この日もひどい渋滞模様。バスターミナルでバスを捕まえて、トルーカのターミナルからスタジアムまでの距離がわからない。チップを奮発したつもりで安全策をとり、この英語の通じる運転手のタクシーでトルーカへ向かうことにした。



トルーカへはひたすら登り道が続く。
 オフィスビル群を横目にサンタフェを抜けると、切り開かれた山肌へと景色は変化する。だが、急勾配の登り坂という点だけは変わらない。道路に面した建物はすべて1階が斜めになっている。雪を降らせればすぐゲレンデができあがりそうな坂道をひたすら登ったその先に、トルーカの市街、そしてエスタディオ・ネメシオ・ディエスがある。

 スタジアムの少し手前で車は通行止め。警察車が横付けになり、騎馬警官や防護楯を構えた機動班など、国際試合を意識させるものものしい雰囲気だ。しかし、そこを通り過ぎると通りには出店がいくつも立ち並び、笛に合わせて陽気な「メヒコ、メヒコ」の歌声が聞こえてきた。10時半過ぎ、無機質なコンクリートの体を、チームカラーの赤でデコレートされたスタジアムの中に入った。試合開始は1時間半後だ。

 ピッチの三方はいかにも大歓声が響きそうな屋根つきのスタンドで、得点掲示板のあるメインスタンドの左サイドから太陽光が降り注いでいる。酷暑を予想していたが、強い日差しほどでもない。我々一般人の感覚でも我慢できない暑さではないのだから、夏場にデーゲームを戦う日本の選手たちにとっては、気になるレベルではないはず。問題は高地特有の低酸素環境だ。

「トルーカ? 良いところですよ。向こうで軽く運動してみましたけれども、思ったほどキツくはありません。軽く走ってみたり、階段を昇り降りしてみたりしたんですが、ちょっと息苦しさを感じるくらいですね」

 大橋浩司監督は、福島合宿の際にそう言っていたが、まわりでクールダウンした選手に必要以上の恐怖感を与えないための強気なコメントだろうとは思っていた。選手たちも現地で1週間近く生活して、厳しい条件には気がついているはずだ。そんなことを考えながら低酸素を意識し始めると、余計に息苦しさが増した。



スタジアムが近づくと様々な出店が迎えてくれた。
 ピッチの隅では、地元の少年たちがフェアプレーフラッグと両国国旗を持ってリハーサルを繰り返している。それを眺めていると、日本の選手たちがバラバラとピッチに入ってきた。午前11時、既に練習を始めていたGK3名を除く23名が、メインスタンドから向かって右に固まった日本人の集団に挨拶を行う。そのまま車座になってのストレッチ。そして対人パスなどの軽いメニューへと移っていく。

 メキシコの選手たちが走りながらピッチに飛び出してきたのはその5分後。高地でもプレーに問題がないことを日本の選手へ見せつけるかのように、タッチラインからタッチラインまで、ピッチの横幅を目一杯使ってランニングする。試合前の動きは、メキシコが明らかに上。4年前の国立とはまったく逆の光景を見せつけられ、この時点で苦戦を覚悟させられる。

 一度プレスルームに戻って、他の報道関係者と一緒にただ1枚のメンバー表を回し読みしながら、両チームの選手名を書き写す。日本の先発メンバーは宮本ともみの代わりに柳田美幸が入った、第1戦の後半と同じ。あの時と同じように安藤梢の名前は控えにもなく、丸山桂里奈もベンチメンバーからは外れた。代わりにベンチメンバーへ名前が加えられたのは、大谷未央。FW陣で最も運動量があり、4年前の経験もある。逃げ切りを意識した時が、彼女の投入時機となるのだろう。

 一方、メキシコはリベラ監督が「試合中にくるぶしを負傷いたしました。それもかなり厳しい状況だと思います。くるぶしを捻った時に音がしたということです」と説明していたモニカ・クリスティーヌ・ゴンサレス、そして第1戦の試合終了間際に負傷退場していたモニカ・オカンポが共に先発メンバーに名を連ねている。そして正GKのソフィア・ペレスも。つまり、ベストメンバーということだ。



 いったんピッチから去った両国選手が、再びピッチに姿を現した。11時50分、FIFAアンセムに乗って選手入場。いよいよ決戦が始まる。スタンドにはまだ空席が目立っていた。

(続く)
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