topnewscolumnhistoryspecialf-cafeabout 2002wBBSmail tolink
 webnews 08/10/11 (土) <前へ次へindexへ>
故郷・広島からの挑戦。
〜チャレンジ! 大分国体 広島県成年女子代表・近藤絵梨佳


取材・文/西森彰

「さすがに、昨日の優勝決定には立ち会えませんでした。でも、昇格が決まった試合はホームゲームだったので、花火や紙吹雪の準備から、その後片付けまで手伝わせていただくことができました」
 チャレンジ! 大分国体の広島県成年女子代表キャプテン・近藤絵梨佳はそう言って笑った。

 日本でプレーする女子サッカー選手の99%以上はアマチュアプレーヤー。近藤も、そのひとりだ。彼女の職場はJ1復帰を決めたサンフレッチェ広島、クラブでは経理の仕事を担当している。昼はサンフレッチェでサッカーの場を作る仕事に携わり、勤務時間を終えると県内のクラブチーム、Vellatrixでボールを追いかける。
「生活の大部分でサッカーと触れ合うことができているのは幸せですね」
 確かにそうかも知れない。



 広島県出身の彼女は、首都圏の早稲田大学に進学した。在学時には「早稲田大学体育局ア式蹴球部女子」、つまり女子サッカー部に籍を置いた。そして4年時にはキャプテンの大任を担った。

 この年の早稲田には、ユニバーシアード日本女子代表に選ばれるなど、国際大会を経験したことのある選手たちがいた。また、一方で大学入学までサッカーを経験したことがなかった部員もいた。極端にレベル差のあるエンジの集団を、近藤はひとつの目標に向かってまとめ上げていった。

 シーズン末に行われる大学女子サッカー日本一決定戦・インカレは、この年から決勝戦が男女共催となった。初優勝を目指す早稲田は、日本サッカーの聖地・国立霞ヶ丘陸上競技場に立つ。対戦相手は、東京女子体育大学。白熱した試合は、延長戦で東京女子体大を振り切った早稲田が2対1で勝利、女子サッカー部の歴史上初めてインカレ優勝を果たした。

「コクリツでサッカーをやる機会は、サッカー人生の中で一度もない、と考えていました。今日、そこでやることができて、しかも勝つことができました。自分の人生の中で、本当に良い思い出になったと思いますし、こういった機会を与えてくださった皆さんに感謝しています」

 優勝チームのキャプテンとして記者会見に出席した彼女は、コクリツの芝に立った感想をそう述べた。



 卒業後は、なでしこリーグへの進路を取らなかった近藤だが、サッカーと離れたわけではなかった。故郷・広島に戻ってからも、地元のクラブチームでサッカーを続けることを選択した。
「早稲田で日本一になれたことは、あくまでひとりのサッカー選手の自己満足みたいなものでした。あれから『女子サッカーをよく知ってもらいたい』という思いが強くなりました。自分の故郷・広島の人たちにも知ってもらいたいし、広島県のチームが強くなることで、県内のサッカーをする女の子の人口が増えてくれればいいな、と」

 広島県下には、なでしこリーグのチームがない。それだけに、女子サッカーの魅力をアピールする場は限られたものとなってくる。全国大会での上位進出は手っ取り早くアピールできる、大きなチャンスだ。47都道府県で優勝を競う国体の代表には、もちろん名を連ねた。

 国体代表についてはプロの出場禁止など、いくつかの制約がかかっている。その中で好成績を目指して県内の有力チームが単独で出場する県と、あくまで県代表という意味を重んじて、選抜構成で出場する県にわかれる。

 広島県の国体代表は後者だ。7チームから集まった15名の選抜チームである。練習は県内の選手を中心に週1回。ふるさと制度を利用して参加した選手たちは、大会直前に合流した。そうした寄り合い所帯の中でも、近藤のキャプテンシーは発揮された。広島県女子代表を率いる奥村優之監督は、プレー以外の部分を高く評価する。

「県外の選手と練習できたのは3、4日だけでした。連携面は中学時代、高校時代で一緒にサッカーをしてきた選手たちだから、連携はとれていた。ただ、チームをまとめる上では、ピッチ内でも、ピッチを離れた部分でも、彼女の力は大きかったと思います」

 ひとりで高い頂に挑むのではなく、パーティーをまとめてアタックする。エースというよりも、リーダーの特性があるのだろう。結果として、今年もミニ国体とも呼ばれる地区予選を勝ち抜き、中国地区第2代表として、大分県で開催される本大会の切符を獲得した。



 サンフレッチェ広島が長居陸上競技場でJ2優勝を決めた翌29日が、チャレンジ!大分国体の成年女子サッカーの開幕日。広島県成年女子代表の対戦相手は、一昨年の優勝チーム、三重県成年女子代表だった。

 なでしこリーグディビジョン1所属・伊賀FCくノ一とその下部組織の選手で構成される単独チームだ。日常の練習で、連携に不安はないし、毎年、国体に対して強いモチベーションをもって臨んでくる。格下相手にも油断などさらさらない。広島にとっては手ごわい相手だ。

 しかも、折からの台風接近によって、会場の三光総合運動公園多目的広場のピッチは、雨を大量に含んだ重馬場となっていた。これまで、パスをつなぐサッカーを志向してきた広島県女子代表にとっては、グラウンダーがつなげないピッチは過酷な条件と言えた。

 同条件下とはいっても、三重は、なでしこリーグの厳しい戦いから引き出しをいくつも持っている。キックオフ早々にピッチ条件を見極め、止まることを前提に最終ラインの裏へボールを蹴り込み、俊足選手を走らせてプレッシャーをかける。

 広島は、ふるさと選手制度の適用で助太刀に来た岡山湯郷Belle所属の保手濱理恵、スペランツァF.C.高槻所属の重本祐佳と、近藤が中央でトライアングルを作り、相手のシュートコースを限定する。そのブロックを破ろうと、三重の選手が繰り返し襲いかかる。

 最終スコアは、0対2。失点後も気持ちを切らすことなく戦った広島イレブンの奮闘は、十分に称えられるものだった。チーム関係者は「もう少しやりたかった」と声を揃えたが、スコア面でも内容面でも大健闘の部類に入るだろう。

「いろいろ遠征を重ねてきたのですが、その遠征で掴み取ったもの、いいものをこの場で表現し切れなかったことが悔やまれますね。最終局面での詰めが甘かったかな」
 タイムアップの笛とほとんど同時に顔を覆い、最後にピッチを後にした近藤は、70分間で終わった国体をそう振り返った。



 広島県内には、それなりに女子サッカーの土壌はある。毎年、全日本女子サッカーの準々決勝が行われ、2004年のアテネ五輪予選も東京とともに開催。決勝戦の日本対中国、3位決定戦の北朝鮮対韓国もビッグアーチで行われている。周囲の目も温かい。だが首都圏のチームを目にしてきた近藤は、それらの好意に対して過度に甘えてしまっては強くなれない、と指摘する。
「選手ももっと意識を高く持たなくちゃいけないし、自立しなければいけないと思います」

 だが「意識を高く」と言われても、経験のない選手には実態が掴みづらい。どこまで頑張らなくてはいけないのか。どこまで求めなければいけないのか。トップトップのところまで行くには、スポット参戦だけではなく、日常的にその場で戦うことが必要と思われる。

「もちろん、なでしこリーグに入るようなチームが出てくれば、そこでひとつ壁を突き抜けられると思うんです。隣の岡山県は、湯郷ベルを頂点にして女子サッカーが盛んになりました。広島県にも、そんなチームができれば」
 奥村監督も、厚い扉をこじ開ける最後のカギが見つかることを期待している。



 北京五輪におけるなでしこジャパンの活躍もあり、国内でも女子サッカーのさらなる強化策が検討されている。日本サッカー協会の新しい長となった犬飼基昭会長は「女子選手の受け皿を増やしたい」とし、Jリーグの鬼武健二チェアマンに「各クラブに対して女子チームを持つよう要請した」という話が出た。

「直接、その話を聞いたわけではありませんが、協会のトップの方にそう言っていただけると嬉しいですね。素直に嬉しいです」
 近い将来、広島県の女子サッカーの旗頭として、紫色のユニフォームを着てプレーしている自分を想像したのだろうか。その言葉通り、にこやかにほほ笑んだ。敗戦の悔し涙は、すっかり消えていた。
<前へ次へindexへ>
topnewscolumnhistoryspecialf-cafeabout 2002wBBSmail tolink